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あの時は、和也に謝ったり、和也を励ましたり、などということは、考えつかなかった。和也が涙を見せたあの日、それから部屋から出てこないと言われたあの日、和也は遠い存在になってしまったのだ。和也が和也でなくなってしまったかのような、そんな感覚に陥った。それから一週間ほどしてからだ。僕が和也の家を訪ねようと思ったのは。
チャイムの音が、和也の家の玄関の前でも聞こえた。僕は、緊張に震えていた。
僕が和也の家を訪ねようと思った理由は、無い。ただ、心配でここまで来てしまった。作戦もなにも、無かった。しかし、とにかく心配だったのだ。
玄関のドアが、開かれた。ドアを開けたのは、和也のお母さんだった。最後に会ったのは去年の勉強合宿のときだったのだが、だいぶ心労があるのか、老けたように見えた。
「あら、智樹君」
それでも、明るく、暖かい声をかけてくれた。
「こんにちは」
「こんにちは。和也を心配してくれたのね。でもあの子。部屋から出られるかどうか」
和也のお母さんは、口を結んだとき、虚しさが顔ににじみ出た。明るい顔をつくっていることがすぐにわかった。
「私が何度も出てきなさいって言っても出てこないの」
あきらめなさいという意味が含まれているのだろう。しかし、僕は、下を向き、だだをこねる子どものように立ち尽くした。すると、
「まあ、せっかく来てくれたのだから、上がってちょうだい」
と、明るい声が返ってきた。ありがとうございます、と言うのも忘れて、僕は玄関から上がった。
和也のお母さんは、一階のリビングに僕を案内してくれた。きれいなリビングに、ゴミが散乱していた。そして、ゴミを片付けながら、ソファーに僕を座らせ、自分は反対側のソファーに座った。しばらく僕の進路、家族について談笑したが、その途中和也のお母さんは何回か目が虚ろになったのがわかった。
話が途切れたときだった。和也のお母さんが切り出した。
「あの子の部屋を、もう一ヶ月以上見てないわ」
この言葉は、僕にはこう聞こえた。あの子の部屋の前で声をかけてみてくれないかしら、と。
「僕、和也君に会いたいです」
僕はそう言って、和也のお母さんの目を見つめた。真剣に。和也のお母さんは、少し考えるような目で、床をきょろきょろと見た。
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