第1章

12/18
前へ
/18ページ
次へ
あの時は、和也に謝ったり、和也を励ましたり、などということは、考えつかなかった。和也が涙を見せたあの日、それから部屋から出てこないと言われたあの日、和也は遠い存在になってしまったのだ。和也が和也でなくなってしまったかのような、そんな感覚に陥った。それから一週間ほどしてからだ。僕が和也の家を訪ねようと思ったのは。 チャイムの音が、和也の家の玄関の前でも聞こえた。僕は、緊張に震えていた。 僕が和也の家を訪ねようと思った理由は、無い。ただ、心配でここまで来てしまった。作戦もなにも、無かった。しかし、とにかく心配だったのだ。 玄関のドアが、開かれた。ドアを開けたのは、和也のお母さんだった。最後に会ったのは去年の勉強合宿のときだったのだが、だいぶ心労があるのか、老けたように見えた。 「あら、智樹君」 それでも、明るく、暖かい声をかけてくれた。 「こんにちは」 「こんにちは。和也を心配してくれたのね。でもあの子。部屋から出られるかどうか」 和也のお母さんは、口を結んだとき、虚しさが顔ににじみ出た。明るい顔をつくっていることがすぐにわかった。 「私が何度も出てきなさいって言っても出てこないの」 あきらめなさいという意味が含まれているのだろう。しかし、僕は、下を向き、だだをこねる子どものように立ち尽くした。すると、 「まあ、せっかく来てくれたのだから、上がってちょうだい」 と、明るい声が返ってきた。ありがとうございます、と言うのも忘れて、僕は玄関から上がった。 和也のお母さんは、一階のリビングに僕を案内してくれた。きれいなリビングに、ゴミが散乱していた。そして、ゴミを片付けながら、ソファーに僕を座らせ、自分は反対側のソファーに座った。しばらく僕の進路、家族について談笑したが、その途中和也のお母さんは何回か目が虚ろになったのがわかった。 話が途切れたときだった。和也のお母さんが切り出した。 「あの子の部屋を、もう一ヶ月以上見てないわ」 この言葉は、僕にはこう聞こえた。あの子の部屋の前で声をかけてみてくれないかしら、と。 「僕、和也君に会いたいです」 僕はそう言って、和也のお母さんの目を見つめた。真剣に。和也のお母さんは、少し考えるような目で、床をきょろきょろと見た。
/18ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加