第1章

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「智樹」 和也は、僕を睨んだ。まるで、この包丁に手を出すなと言わんばかりだ。 「和也。その包丁を俺に渡せ」 このとき、僕は思った。和也は、包丁で楽になろうとしているのだと。 このほとんどの家具が倒された部屋の真ん中の、包丁以外は何も置いていない机。そこは、聖域のようだった。宗教じみた雰囲気さえ漂っていた。 「だめだ」 和也は余計に鋭く僕を睨んだ。僕の体は、じわっと汗ばんだ。 僕は、勇気を持って、部屋に入った。すると、和也の表情は、再び怯えだした。 「だめだ。包丁だけはやめてくれ」 和也の声が、急に弱々しくなった。すがるような声音だった。しかし、僕は、無言で包丁を手に取った。和也は、抵抗しなかった。そういえば、ケンカをしたときも、いつも口。体を使った攻撃、スキンシップにいたるまで、和也は全くしなかった。 僕は包丁を手に持ち、和也のほうを向いた。和也は、やめてくれ、やめてくれと言った。そして、意味のわからないことを叫んだ。 「その包丁はきらりと光るときがあるんだ」 僕は、意志の強そうな表情をつくり、ゆっくりと部屋のドアの所へ向かって歩いた。和也は、同じことを何度も叫んだ。 「きらりと光るんだ。きらりと光るんだ」 その切実な声が僕の心にすり傷をいくつもつけた。和也の顔は、妖怪のように、おそろしい顔になっていた。そして、膝をついた。 ドアの前には、和也のお母さんが、どうしていいのかわからないという表情で、立ち尽くしていた。 僕は、階段を降り、玄関を出た。家の門を出るときにも、和也の、きらりと光るんだ、という声が聞こえてきた。 僕は、和也を救った気がして、一安心していた。         9 和也、僕は本当にいけないことをしたね。あのとき包丁を奪っていなかったら・・・ 僕が包丁を家に持ち帰ってから、一週間が経った。僕は、和也のその後が心配で、家に訪ねていこうか、迷っていた。 僕が部屋にいると電話が鳴った。宵時だった。 僕は、この宵という時間が大好きだった。部屋でくつろぎ、ぼーっとしていたところの電話だったので、少し気分を害されたのだが、僕は、階段を降りて電話を取った。 「もしもし村田です」 「あの、池田ですけど、智樹君」 受話器からの声は、妙に丁寧な声色だった。 「はい、智樹です。どちら様でしょうか」 「和也の母です」
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