第1章

2/18
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/18ページ
        『包丁きらり』                                              僕の勤め先は、実家の近くにある『緑』という名の障害者の通う施設だ。障害者と一言で言っても、精神障害者、知的障害者、身体障害者と、皆別々の障害を持っていて、併発した人もいる。もっと言ってしまえば、皆症状は別で、悩みも別。個々人が皆違う生を生きている。 勤務の内容は、障害者が自立を目指して日々のプログラムをこなしていくサポートをすること。だが、それとは別に僕の願いがある。それは、生きていることの喜び、大きな喜びを障害者の人に知ってほしい、というものだ。 『緑』から実家までの道のりは、電車を乗り継いだ後に、歩く。歩きながら冬の夜風に「寒い」とこぼす。暖かい血の流れている体から湯気の混じる息を吐きながら。 家に着き、自分の部屋に入った。家族が寝静まった後なので、台所のテーブルの上にある、皿からラップをはがし、食事をする。と、押入れの奥の方、その一番奥の角に置いてある、一本の包丁が呻る。この包丁が呻り始めたのは、僕が高校三年生のときだったから、今から7年前のことだ。その年は、ずいぶんと暑い夏だった。こんな寒い日だから、よけいに思い出してしまう。        1 高校三年生の夏。高校は別だが同じ塾に僕と親友の和也は、一緒通っていた。 「和也、お前ならどこの大学でも受かるぞ」 クーラーの効いた塾の清潔な教室の片隅で、採点済みの解答用紙を持った和也の肩に先生は手を乗せていた。先生は小声で話しているのにもかかわらず、教室の中の全員が和也のほうを向いている。「どこの大学でも受かる」なんて、皆ライバル意識を通り越して、雲の上の存在だと和也のことを認めただろう。この落差に、嫉妬するものなど一人もいなかったに違いない。 和也が先生と話し終わり、さわやかな笑顔で僕の席の隣へと戻ってきた。採点済みの解答用紙配りが再開される。和也の外見は素晴らしかった。背が高く、しゅっとしていて、着ている服のセンスはいつもいい。顔は中性的ではあるが、ワックスを使った髪型がさわやかに見せている。それだけでなく、雰囲気までもがさわやかなのだ。 「これで勉強ができるんだから、女にもてるよなあ」 僕は、目を和也の頭から足の先まで滑らせるようにして見ながら、冗談ぽく言った。本当は憧れさえ抱くのだが。
/18ページ

最初のコメントを投稿しよう!