回想

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卒業式も無事に終わり、高校での仲間は各地に飛んでいった…と、言っても皆隣の県とかである。 野球を続けるのはエースだった岡野1人。 俺は硬式はレベル的に無理なのはわかっ ていたため、軟式でなんとかやっていこうと思った。 大学は憧れの1人暮らしを目標にしていたが、親に「家から通える範囲でね」と、早々に条件をつけられてしまい、地元の私立大学に決めた。 夏の三者面談で決めたときに担任の先生が 「いいのか?もっと上行けるぞ?」 と、言ってくれたが、勉強は高校受験で一生分やったのでこりごりであった。 なので、指定校推薦にしてもらった。 本当はその大学のスポーツ学科に行きたかったが、評定が若干足りないのと、柔道部の主将が指定校を決めていたので、諦めた。 正直頭は悪いが、スポーツはそこそこである。 サッカー、ラグビーをやってる人なら聞いたことはあろう大学である。 サッカー部は毎年Jリーガー排出するクラス。プロとのオープン戦もたまにある。 ラグビー部は波はあるが、型にはまれば全国大会でも、上位に食い込める力を持っている。 もちろん!軟式野球も全国レベルである。 その他にも教授の中には、オリンピック金メダリストや最高裁判所にいた人もいた。 学生の中にもアンダー22の選手やオリンピック代表、有名な 女子野球選手もいた。 先ほど出てきた柔道部の主将は岡野と同じ中学だったので、大学が同じと言うことで岡野に紹介してもらった。 学校では話はしたことはなかったが、顔見知りではあった。 「エイジ!塚田連れてきたぜ!」 「おお!塚田よろしくな!」 「こちらこそよろしく!」 このときが我ら「B型トリオ」が初めて揃ったときだった。 塚田は社交的で礼儀正しい野球好きな柔道マン。とても、いいやつだった。 3人とも大学が決まった1月くらいからはずっとセットで動いていた。 2月には毎週のように上野に行った。 しかも、お目当てはクレープ! 味はたいしたことはないが、大きさに引かれ、食べに行っていた。 さらにその後の計画は無し。 ノープランである。 そのまま都内をふらついたり、いきなりディズニーランドに行くこともあった。 卒業する最後の週はほぼ毎日いた。 そして、卒業し、岡野が抜けて俺と塚田だけになった。
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