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「はい?」
三時に予約してある美容院へと急ぐ途中の信号待ちで、いきなり話しかけてきた女性に対して僕は至極真っ当な反応を返した。
目を見開き、少し斜めに傾けた顔だけをちょこんと前に突き出す「すみません、もう一度お願いします」の意を表す伝統的かつグローバルでポピュラーなジェスチャーだ。
いや、今のシチュエーションに限って言えば、「意味がよく理解できないので軽くスルーしていいですか」的な意味合いの方が強かったかもしれない。
いずれにせよ、そんな僕のリアクションに目の前に立つ少女はひどく不満げである。
そもそも、このよく晴れた日曜日のうららかな昼下がりの雑踏の中で、メイド服を身に纏った見知らぬ少女から睨みつけられてるという状態がまずは異常なのだけれど。
しかもその少女の喜怒哀楽ゲージは確実に『怒』の辺りで止まっているご様子で、哀とか楽とか、あわよくば喜とかにチャンネルを変えてあげたいとは思うものの、あいにくそんなうまい乙女心チェンジスキルを僕は持ち合わせていない。
「おぬし、今の私の話をちゃんと聞いていたのか?市営球場までただちに案内せよと言っている」
理解の追いつかない僕を真顔で急かす少女。
周囲の通行人たちからの奇異なモノを見る眼差しに耐えきれず、信号が青に変わったタイミングで横断歩道へと足を踏み出そうとするものの、少女が左右にステップを踏んで僕のその行く手を軽やかに阻む。
その度に、後ろでひとつに結んだ彼女の長い黒髪がファサファサと左右に揺れた。
しかし、間近で見ればなかなかに整った顔立ちの女性である。
好みのタイプかどうかは別として、彼女に対する表現を「少女」から「美少女」に変えることに異議を唱える者は少ないだろう。
どこの貴族に仕える召使いだろうか。
はたまたどこの店に勤める従業員だろうか。
どちらにしても、決してこれが彼女の普段着という訳ではあるまい。
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