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◆ ナーフェルにて
「バーンズ博士、それでは今年の滞在も例年通りという事で宜しいですか?」
バーンズと呼ばれた男は向かいの席に座る、白い毛皮を用いて作られた民族衣装に身を包んだリラを見ながら、アザラシ肉のシチューを掬い上品に口に運んだ。
何日もかけて作られるブラウン色のデミグラスソースが、フィヨルドを臨む崖の上にあるこの小さな料理屋『Narwhal(ナーフェル)』のこだわりだ。
『Narwhal』は地元で捕れたクジラ目の料理を出す店で、週末になると酒場ともなり、漁師やその家族が集まってこの地方に伝わる音楽を演奏しながら踊り明かす。
冬の到来と同時に降り出す雪は、フィヨルドの両側にそびえる切り立った山々を一晩にして真っ白に変えてしまう。
山の上に吹き荒れる冬の嵐は人々の侵入を拒むように止むことはなく、春が訪れるまでここアークは外界から閉ざされた地となる。
だから冬が訪れる前にアークへ来て、春になるとカナダの研究所に戻るのがバーンズのここ数年の過ごし方だ。そこには勿論この『Narwhal』で食事をするひと時も含まれている。
問いかけに答える事なく食事を続けるバーンズの横で、リラは両手で頬杖をつき、窓の外に広がる見慣れた景色を眺めている。
一段と冬に近づいた事を感じさせる冷たい空気につい先程までさらされていたからか、小さな手に包まれた頬は赤く染まっていた。
リラの編み上げられた金色の髪は、時々パラリとほつれ毛を落とす。アークの若い女性のように編み上げるには、リラの髪はまだ少し長さが足りないようだ。それを鬱陶しそうに耳に掛けては、リラはまた頬杖をつき直す。
今日は良く晴れているからか、リラの瞳のように青く澄んだ水が山々を映しとても美しい。だが、この光景を見られるのもあと数日の事だろう。
バーンズはカチャリとスプーンを置いて、膝の上に掛けていた真っ白なナプキンで口を拭く。ナプキンについた焦げ茶色の汚れを内側にして、それを畳んでいるとリラが頬杖を外してバーンズに再び問いかけた。
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