47人が本棚に入れています
本棚に追加
15年前 海洋生物研究所
山に吹き荒れていた長い冬の嵐が終わり、春を迎える。いつもなら待ちわびているはずのこの日、耳を塞ぎたくなるほどの鐘の音がアークには鳴り響いていた。
ノアは誰もいない海洋生物研究所の床に寝転び、目を瞑って微かに聞こえる鐘の音を聴いていた。しかし、いつしか眠ってしまったらしい。
頭上に広がる巨大水槽には、いつものようにイッカクが泳いでいる。そのままもう一度目を閉じようとすると、部屋の端に少女が立っているのが目に入る。真っ黒なドレスにシンプルなリボンのカチューシャをつけた金髪の美しい少女。彼女もノアと同じようにイッカクを見上げていた。
どこから入ってきたんだろう。――――今日は休館日のはずなのに。
ノアは上半身を起こしその少女を見つめる。
吹き抜けになった水槽の上部から入り込む光が、水面の波模様を部屋の中に映しこみ、少女もノアも水の中にいるように思えた。
ふと、少女を見ている内に、ノアはそれが誰なのか分かった気がして名前を口にした。
「リラ・フローレス?」
少女は、それが合図だったようにノアの方を振り返り、その深く青い瞳がノアを捉えた。まるでアークの海だ。そう思った瞬間、アークの海から涙が白い頬を伝って床に落ちる。
「パパとママが死んだのは、この海の神様を怒らせたからなの?」
やはり、この子がリラなんだ。良く見ればフローレス夫妻に似ている。
「海の神様?」
首を傾げるノアにリラは無言のまま頭上にある水槽を指さす。
青白い体に茶色の斑模様の浮かぶ腹部が見えたと思うと、イッカクはぐるりと体を回転させ、頭部に突きだした角にも見える牙をリラとノアの方に向け、ゆっくりと頭の上を通り過ぎていった。
「イッカクの事?」
「イッカクって言うの? この神様」
「神様って……ねえ君、こんな所にいていいの。今頃葬儀の最中じゃないの」
本当だったら、ノアだってそこにいなくてはいけない。でも、ノアは高熱を出していることになっているから、ここにいなさいとノアの両親は外に出る事を許さなかった。
恐らく外は酷く混乱しているんだろう。アークの民の哀しみと怒り、それらが尽きるとは思えない。
「だって、箱の中にはパパもママもいなかったもの。神様が食べちゃったんだって。だからね、ここにいなさいって偉い人に言われたの。外は寒いし、危険だからって」
ノアはもう一度頭の上のイッカクを見上げた。
最初のコメントを投稿しよう!