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◇ ナーフェルにて
リラの前に置かれたアザラシ肉のシチューは半分程残されたまま既に冷たくなってしまっているようだった。
手に握られたままのホットワインももう既に湯気は上がっていない。
「ノア……」
手を伸ばそうとすると、リラはびっくりしたようにその手を引っ込めた。
「まだ質問に答えてなかったね、今年も例年通りの滞在予定だよ」
リラは驚いたように目を見開いたままノアを見続けている。
「どうかした? 滞在予定早く答えて欲しいって言ってたでしょ」
「……でも、どうして」
「でもじゃないよ、久しぶりに帰って来たのにリラのそんな憂鬱そうな顔ばかり見たくない」
ノアはそう言って腰を浮かせると、リラの肩を掴み、鼻先と鼻先を何度か合わせる。それは親愛の心を伝えるアークの挨拶だ。リラの下ろした長い髪がノアの顔にかかって、くすぐったい。
「ただいま、リラ」
「……お帰りなさい、ノア」
近づきすぎて焦点の合わなくなった目にぼんやりと映るリラの目は潤んでいるように思える。
「いつも初めから素直に僕がいなくて寂しかったって言えばいいのに」
顔を離すとやはりリラの目には涙が浮かんでいた。ノアがその涙を親指で拭うと、リラはなぜかぷいっと横を向いてしまう。
「ノアがいなくても……私は平気です」
「じゃあどうして泣いているの」
「泣いてなんていません。ノアの勘違いです。そうやってノアはいつまでも私を子ども扱いするから嫌なのです。私だってもう大人になったのに」
リラが強情なのはいつもの事だけれど、いつにまして頑ななのはリラに対し相変わらず心無い言葉を投げる民がいるという事なんだろう。ノアも出来る事ならばアークに残りリラの傍にいたい。
リラの長い髪にいくつもつけられた鯨の骨を削り色付けしたビーズは、成人した女性の印だ。これをつけている女性にのみ、アークの男は結婚を申し込む事が出来る。
リラが言う通り、もうリラは子どもではない。ノアの気持ちを知るアークの男たちが、周囲の反対を押し切ってまでリラを結婚相手に選ぶとは思えないが、それでもリラの際立った美しさを思えばあり得ないとは言えない。
そう思うと、ノアは以前よりもさらに艶めいて見えるリラを早く自分のものにしてしまいたくなる。でも、まだそれは出来そうにない。
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