第1章

3/8
前へ
/8ページ
次へ
 無駄だ。  どうせ、自分は帰ったりはしないだろう。  千鶴も昼のドラマのように娘を捜したりはしないだろう。  視線の先にバスが現われた。  まだはっきりと乗客は見えないが、約束の時間に遅れるような男を千鶴は選んだりしない。  目の前にバスが停まる。  開いた扉から客が降りてきた。  地元の人らしき男女が一組と背の高い男が降りてきた。  男は海帆を見ると手を挙げた。  ゆるい天然パーマの男だ。  普段はスーツを着込んでいるのだろう。  ジーンズに黄色いTシャツが妙に浮いている。  海帆が見上げたままでいると、男は微笑んだ。 「小川海帆さんだね」  確かめるように海帆の顔を見た彼に、海帆はそのまま頷いた。 「千鶴さんの言う通り、きれいだね。目元がよく似てる」 「きれいだなんて誉める前に、名前を名乗ったら?」  海帆は彼の笑顔を攻撃するように言うと、防波堤に寄り掛かった身体を起こした。 「ああ、ごめんね。国崎誠二です。千鶴さんと付き合ってます」 「聞いてる」 海帆は誠二から目をそらして、道を戻り始めた。  一瞬、面食らった表情をした彼も慌ててその後ろに続く。 「千鶴さんも迎えに来るって聞いてたけど、どうしたのかな?」 「娘の迎えじゃ不満?」 わざとトゲがあるように海帆は言った。  しかし、誠二は声の調子を変えることもなく、さらりと答えた。 「いや、体調でも悪いのかな、と思ったからさ。旅館にいるならいいんだ」 「いつも、私が迎えに行くことになってるの」 「そうか。じゃあ、案内よろしく、海帆さん」 ちらりと誠二を横目で確認すると、どうしたのと海帆の顔をうかがった。  少し距離が離れている。  バス停で歩き始めた時と同じだ。  海帆は彼に答えずに旅館へ急ぐことにした。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加