プロローグ ぼくと私の場合

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プロローグ ぼくと私の場合

 バケツをひっくり返したような雨だった。  もう時計の短針は頂点に差し掛かろうとしていて、晴れていたのならば恐らく窓からずけずけと上がり込んでくる陽の光に舌打ちの一つでもしたのだろう。が、照明もつけていない真っ暗な部屋はぼくの機嫌取りに必死のようだった。  一人では持て余すキングサイズのベッドから起き上がると下腹部から臀部にかけて、不快な疼きが広がった。 枕元に置いてあるマネークリップで雑に留められた札束の代償だ。これを齎した昨日の客人はもういない。  去り際は合格だ。恐らく玄関の鍵も開けっ放しだろうが、寝起きに人が隣にいるよりかはマシだった。  立ち上がると黒いブランケットが肩から落ちた。六月だというのに肌寒い、そんな室温が一糸纏わぬぼくの身体を刺す。  玄関の施錠を済ませ、手近にあった下着を身につけてワイシャツを羽織る。厚着をするのも億劫だったのでエアコンのスイッチを入れて身体が温もるのを待った。  革張りのスツールの上に置いてあった小さめのノートPCを手に取り、再びベッドに俯せになって電源を点ける。  ノートPCはすぐに立ち上がり、飾り気のないホーム画面が表示された。  昔から良くしてもらっている客からの貢ぎ物で、スペック等は分からない。だがどうでもよかった。  永いネットサーフィンを機械のようにこなし、文字が眼球を上手く滑らなくなってきた頃だった。  コーヒーでも淹れようと立ち上がりかけた身体を止める。止まった。  無尽蔵に増え続ける匿名掲示板のスレッド、その中に埋れかけた一つの旗。グループチャットをしましょう、と書かれたシンプルなスレッドタイトルから目を離せなかった。  娯楽用に使用していたスマートフォン端末のメッセージアプリを立ち上げ、そのスレッドに載せられたQRコードを読み込む。  表示されたアカウントに募集スレッドを見ました、とだけ告げると、三分もしないうちに返信がきた。 「いらっしゃい。楽しんでいってね」  当たり障りのないその返信が酷く意味深に思えた。考える暇もなく、立て続けにグループチャットへの招待の通知が響く。  扉を開く。境界の向こう。端末を握る手が、少し、汗ばんでいた。
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