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「…ありがとう。あの人に、親身になってくれて」
「いや、べつに、そんなつもりじゃない、けど…」
マミは言いながら、少し羨ましい、と思った。
今まで出会った男のなかに、マミのいない場所で、マミのために、他人に頭を下げて礼を言ってくれる男がいただろうか。
黙りこむマミを気にするでもなく、哲司は両手で、自分の前髪をかきあげた。
「…やべ、なんか緊張してきた。情けねーな」
そう言いながら、少し笑う。
「…あの人、男の趣味は、悪くないかもね」
思わず呟いた言葉に、哲司が「何?」と言うように視線を寄越すので、マミは慌てて「なんでもない」と、首を振った。
ふたりがそんなやり取りをしている最中、事務所に入っていった類が、フロアに戻ってきた。
ドアの側に立っていた友理奈に話しかける。
「さわさん知ってる?奥にいないんだけど」
「ああ、さっき下のゴミ置き場にゴミ出しに行くついでに、レモンきれたから買って来てってカヨさんに頼まれてたよ?」
哲司がふたりの方を見た。その視線に気づいて、類も哲司を見る。嫌な感じがした。
「レモン、すぐそこのコンビニで売ってるの、さわさん知ってる?いつ出たかわかる?」
もしかしたら、知らずに少し離れたスーパーまで行っているかもしれない。
「知ってると思うよ。前にも買いに行ってるはずだから…そういえば遅いね。お兄さん来るちょっと前に出てるはずなんだけど…」
哲司と類は顔を見合わせた。
「見てくる」
弾かれたように立ち上がり、そのまま外に飛び出す哲司を、マミが驚いた顔で見送っている。
「ごめん!オレもちょっとだけ抜ける!」
そう言うと、類も出て行ってしまった。
「何あれ、過保護?それか、なんかヤバイ感じ?」
たずねる友理奈に、マミは曖昧に「さあ?」と答えた。
よくわからないが、哲司が沙和子を追いかけたなら、マミの計画は概ね予定通りだ。
ただ、ふたりの様子は、明らかに焦っていた。
何か、あったのだろうか。
ー何も無ければいいのだけれど。
哲司が座っていた椅子の足元に、紙袋が転がっていた。勢いよく立ち上がった時に、倒れてしまったのだろう。透明のビニールに包まれた、女物の靴が紙袋からのぞいている。
マミは、それを拾い上げると、ふたりが出て行った扉を見つめた。
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