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坪内は怒りで我を忘れている。太い指が拳銃の安全装置をカチリ、と引き下ろすのが見えた。
俺は思わず、ガムテープで縛られたままの足で立ち上がろうとした。
でも、うまくいかない。
身体を捻じって、必死で立ち上がろうとしても、床で足が滑って、全然。
「せっ、せん…………!!」
「そんな下品なこと、あの人は言いませんでしたけどね」
危機一髪という瞬間に、先生はそう言い放った。
「…………同じヤクザでも、こうも違うものなんですね。残念です」
「……は…………?」
「いえね、僕は、実は一時期あるヤクザさんのお抱え手品師をやっていた時期がありまして」
「……お抱え、手品師……だと……?」
先生は拾い上げた一枚の新聞紙を指先でパン、パン、と弾き、次は折り畳みもしてないそれを一瞬で万札に変えた。
「あなたもヤクザの端くれなら、ご存知でしょうね。谷崎龍三。谷崎組、現組長をやっている方です」
そう言って、先生はにっこりと笑ってみせた。いつものような、とろけるような笑顔じゃない、不敵な笑み。
今先生が口にした谷崎組って、確か、こいつらの所属してる組じゃなかったか?
「ああ、今でもね。たまに、一緒にお酒を飲んだりするんですよ。素敵な方でね、今僕がやった手品が一番のお気に入りなんです」
さっきまで殺気立っていた坪内の表情が凍りつき、一気に真っ青になっていく。まるで牙を折られた狼みたいだ。
「僕が死んだら、きっと彼は悲しむだろうなあ」
先生の頭に突き付けられた拳銃が、ゆっくりと下ろされる。坪内は挙動不審に目を泳がせながら、その拳銃をジャケットの中に仕舞った。
「どうしました?殺すのはやめたんですか?ああ、じゃあもう少し待って下さいね。残りも全て、一万円に買えますからーー」
「そ、そんなに待ってられるか!!俺たちには時間がねえんだ!!」
坪内は札の入った箱の蓋を閉じ、それを抱え上げた。その表情は明らかに動揺している。
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