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そこまで言って、先生は突然黙り込んだ。
暫く何かを考えるような素振りをみせた後、先生は横に座っている俺をちらりと見た。
「優作さん」
「……はい?」
「きみに、預けているあれを、下さい」
俺に預けているあれ?
咄嗟に俺はそれが何を指しているのか分からなかった。
しかし、先生が俺に預けているものなんて、家の合鍵以外に、一つしかない。
俺は痺れた足で必死に立ち上がり、よろよろと覚束ない足取りで、自分の部屋からそれを持ってきた。
それは、先生の預金通帳だ。
俺はまさか、と思いながらそれを先生に手渡した。そのまさか、だった。
先生はそれを、おっさんに差し出したのだ。
待て、待て、待って、
待ってくれ、
先生、それはあんたの全財産だろ。
そりゃあ、そんなに沢山は入ってないけれど、それがなくなったら、あんた、明日からどうやって生きていくつもりだよ。
信じられないお人良しだ。
もう、こんなの、ただの馬鹿だ。
でも、それがこの人なんだ。
先生なんだ。
「……お前の娘さん、病気なのかい?」
おっさんは、そこでやっと顔を上げた。
そういえば、さっき坪内がそんな話をしていた。娘さんが、難病を患っているとか、治療費を拝借しに行くとか。
おっさんは、先生が手品師稼業を再開していて、借金を完済していると勘違いしていた。
もしかしたら、本当に、金を借りにここへやってきたのかもしれない。
そうでなければ、こんな時に先生を恨んでいるおっさんがここへ来る理由なんてどこにも見当たらない。
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