日本への船旅すぐ帰る。

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エン・ブラン・コール・ベニヤミン・ド・ガドのことは、ひとまずおいておいて。 (ネチェリケト=カタヴィラの船旅に同行していないと思うので。) ネチェリケト=カタヴィラの船旅に同行した人たちは、そのぐらいだと思う。(そして、すぐ帰った。) そして、ネチェリケト=カタヴィラの船旅に同行した人物のうち、 スカル・ポーラー・ハインド・ジェルは、ギリシャの北から来た。または、ギリシャの北に行った。 その西が、ユードハー・テュール・ポルバースだ。 そして、ユードハー・テュール・ポルバースの西が、プレベルだ。 ユードハー・テュール・ポルバースには、娘がいた。名前は、ヘレン。 Helen ヘレンの夫は、マクシミリアン・ルードヴィヒだ。 Maximilian Ludvich マクシミリアン・ルードヴィヒは王様だった。だが、普通の王様ではなかった。 共同王だった。誰と共同していたのか。それは、アムブロシウス・アミヌ・アダルだ。 共同王、それは、一人が内政を担当しているとき、もう一人は、対外遠征をしていた。 そして、1年か2年で役割を交代し、対外遠征から戻って内政担当になり、 内政担当だった者は、対外遠征に出かける。 それを数年ごとに繰り返していた。 マクシミリアン・ルードヴィヒと、アムブロシウス・アミヌ・アダルは、まったくの他人だった。 他人同士で、そのようなことができるというのは、非常に信義に厚くないとできないことだと思う。 前の章の最後に出てきた、ランプティナコス・ウーサーは、マクシミリアン・ルードヴィヒの部下だった。
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