43人が本棚に入れています
本棚に追加
アッカド帝国の顛末
アッカド帝国の版図は、非常に広い。ローマ帝国ぐらい広い。ローマ帝国より広いかもしれない。
版図。版図の図は、地図の図だ。だから、自国の領域の地図を、何枚も作り、配布したり、いろんな場所に掲げることを、版図というと思う。
大昔には、円筒印章という、判子があった。だから、同じ図を何枚も作るということは可能だった。
問題は、非常に大きな判子を作れるかだが、粘土板程度の大きさのものなら可能だろうと思う。
そして、アッカド帝国の版図、領域は、ローマ帝国と同じくらい大きかった。
なぜそのようなことが可能だったのか。それは、軽戦車があったからだ。
馬が引っ張る軽戦車。それを使えば、非常に遠くまで、少ない日数で行くことができる。
その軽戦車を発明したのが、CCR という人物だ。この男の名前の読み方は、はっきりしない。
[ ザ・シャリオット・シセラ・オピーオーン・サソリ ]
または、
[ ザ・シャリオット・ケケル・オピーオーン・サソリ ]だ。
どちらの読み方が正しいのか、はっきりしない。CCR 本人も、読み方を決めてなかった可能性もある。
CCR は、いろんな王様の下で働いたり、いろんな職人の親方の下で働いた可能性が高い。
そのとき、CCR の読み方を、王様や職人の親方が、勝手に読む場合がある。
それを聞いたCCR が、その都度、その読み方は違うと言っていたら、読み方は一つだけだったかもしれないが、
おそらく、何度もそういう読み方をされたため、そのままにしておいた。
それで、読み方がはっきりしなくなったと思われる。
最初のコメントを投稿しよう!