第1章

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まぁ、それでも姉と弟に 「兄弟では一番賢かった。」 と言われていたし、父本人はガキ大将の様に私達には話したが弟の叔父に言わせると 「本ばかり静かに読んでいる人」 だったと意見は食い違う。 丘の上の墓に入っている父から 「こんな成績が見られるならまだ生きていたい。」 と病床で言わしめたのだから、着るものが酷かったからといって扱いが酷かったという事では無いとは思う。 しかし、昭和7年生まれの父の姉を筆頭に大学院、弟も大学迄いっているって事には本当に驚かされる。 間違い無く裕福だったろう。 父は祖父亡き後、祖母の病気に伴い高校から東京に出て来ている。 日大鶴ヶ丘高校だ。杉並にある。 その後、東大受験するも落ちて、知人の経営する中華店の二階に住み、私大へ進む。 日記はその辺りから書かれたものだ。
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