3人が本棚に入れています
本棚に追加
私はなぜ日々の中に嫌気を感じ、辛いと思い、
死にたいとすら思うのでしょうか?
「命」には格別感謝していてもそんな言葉が出る自分が嫌です。
何故「生きる」のが嫌になっているのかを考えてみました。
私はの場合は
自分の目標に手が届かない→「もう小さなころに描いた夢はほぼ破れました。」
目標が無いから→「今の働き方でどうしたか分かりません。」
成功しないから→「叱られ、とくにほめられることも無い。」
日々のストレスにさいなまれるから→「人間関係、肉体的疲労」
生きがいが見つからないから→「将来がどうなるか分からない」
金銭が無いから→「実際かなりギリギリで年相応の思うような生活は出来ていない」
欲しい物が手に入らないから→「車など欲しいものが多数あり手に出来ない」
他人と引かして裕福でないから→「友人は車を手にしていたり私より楽そうな仕事をしている。」
人間関係が理想の様に行かないから→「時間合わず友人とは遊べないし、恋人も。」
ざっとあがりました。
自分の描く理想や希望とは違うんです。ここまで違うとは思わなかったんです。
私は別に特別裕福を望んでいませんし、本当は裕福でなくてもいいって考えている人はいると思います。何か一つでも改善されればと思いながらもそうは行かない世の中です。
名言や格言で「失敗してもいい」とか「逆境こそチャンス」といいますが、
現実的に大きな失敗は出来ない身分であったり、その逆境に飲まれてしまう人も多く居ます。そして押し流されると嫌になるんじゃないでしょうか?
また、「パソコン使って、屋根のあるところに住んでいるのは幸せ!」なんていいます。それも間違いではないですが、残念ながら“経験の無い物”を比較対照されても理解できないのが現実なんです。
そんな中で私は毎日「命」があることに感謝し
とりあえず「生きている」つもりで居ました。
何となくでとりあえず、目の前の生活を守る為に。
親も居ますので親不孝をしない為に。そういった為に。
そのときに先ほどのフレーズを聞きました。
「命」の無駄とは…。
「命」はある。では無駄は…?
少し考えてみました。
最初のコメントを投稿しよう!