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私は健全な肉体の持ち主です。
ですが明日からもう何もせずに寝ているだけの生活をしたら…
「命」はあってもそれこそ「無駄」でしょう。
そして同時に私は思ったのです
それは…「生きている」と言えるのか?
もちろん人の状態は違います。
寝ていることで精一杯「生きている」人もいると思います。
しかし「生きるのが辛い」なんて考えていられる人が
その状態であるのは少ない気がします。
もしこの「命」があるとしたら、何に使えるでしょうか?
立ち上がり、歩き、笑い、泣き、出来るこの「命」。
もっとやれることが沢山ある気がしました。
そうして日々の先ほどの生活の中で「命」は
何の目的もなく寝ているのに等しいくらい「無駄」に使っているように思えました。
それは生活などの意味の「生きる為に」しなくてはいけないことしています。
しかし、同時に先ほどの何の目標も無いくらいの「命」の「無駄」がありました。
生活などの為に多大なストレスを感じながら「命」の「無駄」をする。
そしていつしか「命」すらいらないと思えてしまう。
それが「生きるのが辛い」なんでしょうかね?
実際呼吸器官が詰まって生きるのが辛いとそういう人よりも体は健全な人のが
「生きるのが辛い」と感じています。
それはその「命」でもっとできることがあると知っているから、
「無駄」をかんじているからじゃないでしょうか?
「命」をただのストレス受け皿にし、肉体に疲れを溜める。
それは確かに辛いです。
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