【2】少年期 

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けれど、一旦父が跨がり、ひと駆けすると一変した。 教練が進むと青毛は発汗し、身体から蒸発してかげろうのように立ち上る。朝靄と相まって冒しがたい威厳を醸した。 父は軍医の中でも乗馬の技量は際立つと聞いていた。そして小男だ。父が騎乗する姿は何度も見ている息子の目には、この日の父はどんな大男よりも大きく、凛々しく、人馬一体と映った。 湯気を全身から噴き出しながら幸宏の方へ向かう父に促され覗き込んだクシナダの瞳はなんとも優しく、くりっと丸かった。 母さんの瞳だ。 幸宏は美的感覚には乏しい。けれど、美しいと思った。 そうか、だからミズキと呼んでいるのかと思った。 そして小耳にはさんだことを思い出した。倫宏は患者が運ばれてくるのを待たず、自ら戦場へ出向いてしまうと。今時は車があるのに、自分は運転できないからと馬で駆る。車を用意されるまで待てないというのだ。だから馬を何よりも大切にしているのだと。 砲火の中、クシナダと共に駆ける父の姿はさぞ勇ましいだろう。 けれど、と幸宏の中で何かが警鐘を鳴らす。 医者として患者を救う為に尽力する、それが父の自負なのだとしたら、それは戦場にはないのではないか。 何故父は僕に医者になれとは言わなかったのだろう。 その夜、帰郷する汽車に揺られながら、父の背を、騎乗する姿を何度も思い浮かべながら幸宏は考えた。けれど結論は出なかった。
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