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◇ ◇ ◇
幸宏が学生だった当時、国はきな臭い方向へ進みその雰囲気は若い彼を刺激した。
内外に聞こえる秀才だった幸宏は、自他共に認める進路を目指した。
父のように、軍医になる。
父が休暇で戻った十代半ばの夏。
決意表明した彼は父の言葉に絶句した。
「ならん」
倫宏は短く言った。
父は厳格を絵に描いた伯父と違い、どこかユーモラスで憎めないところがあった。いつもにこにこ笑っているような顔立ちをしていた。その顔のまま言われると、かえって反論する余地がない。
二の句が継げない息子に、少しの間を開けて告げる。
「幸宏君には医師に一番大切で必要な素養が欠けている」
「それは何!」
今度は打てば響く鐘のように言葉が出た。
自分は優秀だ、学内でも、県内でも、いや、日本中の秀才を前にして臆さないだけの力があるんだ。口には出さなくても態度に出る。
父は繰り返した。
「君は医者には向いていないよ」
そして煙草を詰めたパイプに火をつけて盛大に煙を吐いた。
煙に巻く言葉通り、倫宏が煙草を口にする、すなわちこれ以上話すことはないというサインだ。
幸宏は悔しかった。
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