第2章

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動物と暮らし始めると「意志を持った人間以外の動物と暮らすこと」であるとだんだん分かってくる。 動物には意志がある。 「物」ではない。 鳥、哺乳類になると自己主張するようになってくる。 初めは何を考え、主張したがっているのか分からなくても、一緒にいるうちに分かってくる。 人間の言語を使わないが、心で通じある、というか感情のダイレクトなやり取りが始まる。 感覚としては人間の無言の会話と変わらない。 チラリ、と目が合うと相手が何を考えているのか、なんとなく分かる、に似ている。 動物とは仲良くもなるが、喧嘩もするし、たまに騙されることもある。 動物なりに意志があり、知恵があり、自己主張されると人間以外の友達がいるような気持ちになる。 信頼関係ができると、人間以外の友達がいるのが当たり前で自分の人生の一部になる。 私は物心がついた時から、動物がいた。 インコだった。 次に犬、ハムスター、モルモット。 学校から帰ると、いつも友達がいた。 クラスメイトと遊べなくても友達がいた。 一緒に遊んだ。 出会った分だけ、別れもあった。 死別による永遠の別れだ。 自分の仲の良い友達が死ぬのは辛い。 どんなに会いたくても、その友達はいないのだ。 しばらくは友達の「生きていた後」で心を慰めようとしていた。 友達の残した「羽」「毛」使っていた「道具」「写真」。 悲しみはゆっくり癒すしかないのだが、友達が残した「羽」「毛」は大切な宝物になる。 他の人にとっては無価値の物だとしても、飼い主にとっては二度と手に入らないプライスレスな宝物になる。 私の場合、ガラスの小瓶に「毛」と「絨毯の毛」を入れている。 時々眺めて、友達のことを思い出す。 インコの羽は無くしてしまった。 自分とインコが写った写真を大切にしている。 たまにペットショップに行くと「友達」と似ている動物がいることがある。 もしかして遠い親戚かも、と思う。 ただ飼うことはしなかった。 私が飼っていた動物そのものではないからだ。
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