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「それが、入れないんだ」
「どうしてよ。ドアの暗証番号を忘れたの」
と言う声と同時にカチャッという音がして、門のオートロックが外れた。
妻が家の中から扉のロックをはずしたのだ。
しかしそういう問題ではない。
「鍵は開けたわよ」
「でも入れないんだよ」
「なんでー」
さらに甲高い声が携帯電話から響いた。
イライラしたヒステリーの一歩手前の声だ。
「猫がいるんだ」
「だからなんなの。夜も遅いのよ。いい加減にして!」
妻の声が突然大きくなり、ヒステリーが爆発した。
信二は妻の大きな声が外に聞こえないように携帯電話をスーツの中に隠した。
そして口をスーツの胸元に持っていき小さな声で反論した。
「僕は猫がダメなんだ」
「何いってるのよ。酔っているの」
声のトーンが落ちた。呆れたようだ。
「酔っていないって」
信二は携帯電話に向かって言い返した。
そのとき向かいの家の二階の窓が開いて、40歳過ぎのオバサンが怖い顔を突き出した。
深夜に路上で携帯電話で話しているのが気に障ったのだろう。
頭にパーマのカールをつけたままで、ネグリジェの上にカーデガンをひっかけてこちらを睨んでいる。
信二は携帯電話を手に持ったまま頭を下げた。
オバサンはジロッと睨んだあと、窓をガシャンと音をたてて閉めた。
ため息をついて携帯電話を胸ポケットにしまうと、今度はマンションの入口の扉が開いた。
「何しているのよ」
妻の淳子がサンダルをつっかけて入口まで降りてきた。
口を膨らませて怒っている。
信二は人差し指を口元にあてて「シッ」と小さな声で言った。
そして明かりがついている向かいのマンションの二階を上目遣いに見ると、
妻も意味を理解したらしく声のトーンを落とした。
「どーしたの」
信二はこわごわ門柱の上にいる黒猫を指差した。
「なんだ。可愛い猫じゃない」
淳子はそういうと門柱に歩み寄り、背伸びしてその猫を門柱の上からとりあげた。
そして子供をダッコするように抱えると信二の前に歩いて来た。
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