第1章

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うふむらうどぅんぬ かどぅなかい みみちりぼうじぬ たっちょんど いくたいいくたい たっちょがや みっちゃいゆったい たっちょんど イラナんシーグん むっちょんど なちゅるわらべ みみグスグス ヘイヨー ヘイヨー なかんど ヘイヨー ヘイヨー なかんど  沖縄に伝わる昔話に、どこかで聞いたような そんな話に出くわす事がある。  那覇市の首里大中町に、有名な交差点がある。 この角には旧県立博物館があったそうだが、 現在、この博物館は移転しているので、 注意が必要である。この角に立っていたと 伝え言われているのが。  『耳切坊主』  である。ミミチリボージと呼ぶ。 この文字だけでも有名な怪談を、思い出す人は 多いのではないだろうか。さて彼は何故ここに 立っていたのだろうか。  昔、黒金座主(くるかにじゃーしー)という あだ名で呼ばれた盛海上人という高僧がいた。 尚敬王(1713年頃)には尊敬を集めていたが その幻術によって女性を誑かしては手篭めに していたという裏の顔があった。  これに気がついた王の命によって、北谷王子 (ちゃたんおうじ)が、黒金座主の始末に行く。  相手は高僧で、幻術の使い手と噂されている。 武力で捻じ伏せても無駄と考え、王子は囲碁で、 勝負を挑む。頭脳戦に持ち込んだ。  双方、何を賭けて勝負に挑むのかと宣言し。 北谷王子は武士の命に等しいと思しき、 片鬘(かたかずら:チョンマゲに相当する)  対する黒金座主は、その両耳を賭けて 勝負となった。  結果として黒金座主は勝負に負けた為に、 両耳を切り落とされて、北谷の御殿を呪って、 いずこへ消え失せたという。  それ以来、黒金座主の怨念が霊となって 北谷御殿の門前に立つようになった。 鎌か小刀か、何かの刃物で耳を切るという 子守唄が琉球のあちらこちらに伝わる。  北谷御殿のあった場所に旧県立博物館は 建っていたのだが、その東南の角で耳切坊主が 何度も目撃されている。  だが多く残る琉球史料によると【裏の顔】の 中身は随分と違うようである。  そもそも高僧であった盛海上人は頑なに、 琉球王府のあり方を批判しており、謀反の疑いや 政治批判による王や蔡温に、都合の悪い人物で しかも民の人望は厚く。説教に多くの人が、 列を成す程だったとも言われる。  民の声を聞く耳を切ってしまえ。  これは事実なのか判断は出来ないが、いずれ
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