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「何をしている時、人間は世界に存在していると言えると思う?」
そんなことを訊かれた。
こうやって人と話してる時にそう言えるんじゃないですか。
そのぼくの答えを男は鼻で笑った。
「当たってるさ。ああ当たってる。――だが俺のとは違うな」
はあ。
神経を逆なでされる話し方だ。
「人は何者かに評価されている時に、はじめて世界に存在していると言えるんだよ」
そうだろうか。
人に評価されていなくたって話してさえいれば存在しているのではないだろうか。
「くくく。それも当たってるさ。ああ当たってる。だが、誰かと話すということ自体が相手を評価していることになるだろう。相手の言っていることに対して正誤を判断しながら話すんだからな。それはある種の評価だ」
なるほど。
でも逆説的に言えばその理論は、人から評価を受けないような人間は存在していないことに等しいということになりますよ。それは暴論じゃないですか。
「暴論か――確かにな。お前がそう考えるならお前の中でそれは正解だろうぜ。だが、俺の意見からすれば、評価は他人から受けるものだけではないんだよ。自分で自分を評価することだってあるんじゃねえのか」
じゃあ、他人から評価を受けないような人間でも、自己評価を行っていればその人間は存在しているということですね。
「そういうことだ。理解が早くていいな。だが一つ付け加えたいことがあるぜ。他人から評価を受けている人間は他人の世界にも存在している。評価をしている奴の内面の世界にな。――だが自己評価で存在している人間は、自己の内面世界にしか存在しない」
自己中心的な存在、ということですね。
「そうだ――良い言葉だな。そしてそれは危険を伴う。存在というものは普通外側を向いてるものだ。だが、自己中心的な存在の奴の自我はどんどん内側に向いていく。つまり限られた自分の価値観でしか動けなくなる」
できればそんな人間とは関わり合いになりたくないですね。
「くくく。正直だな。――正直なのはいいぜ。この上なく残酷だ。でも、お前はこれからそういう奴らと関わっていくんだぜ。望むと望まないに拘わらずな」
とても苛立つ話し方。口調、声色、態度、全てが気に障る。しかしだからこそ――この人から目を離せない。
関わっていくって、そんなこといつ決まったんですか。
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