1173人が本棚に入れています
本棚に追加
/24ページ
彼の黒髪を濡らす雨は水滴となり、毛先からポタポタと滴り落ちる。
「……分かった」
雨音に消されてしまいそうな声を落とし、先生は諦めた様に手の力を抜いた。
私を深く見つめる彼の瞳が微かに揺れる。
「…大丈夫です。途中でタクシーを拾いますから」
見つめ合うのも苦しくて、彼から目を逸らし俯いた。
「傘は?」
「え……あ……雪菜さんの病室に……」
放心状態の中、びしょ濡れになった自分の手のひらを見つめ力の無い声を漏らす。
「待ってろ……」
彼は声を置いて後ろを振り返ると、施設の正面玄関に向かって走り出した。
そして、自動扉の前に置かれた傘立てから傘を一本引き抜き、それを掴んで私のもとに駆け戻る。
彼が広げた深緑色の傘が、私を濡らしていた雨を遮る。
「……持って行け」
そう言って、彼は自分の傘を私に握らせた。
雨が傘に当たって跳ね返る音が、頭上から空しく耳に届く。
「……ありがとうございます」
握った傘の柄に視線を置き生気の抜けた声を落とし、彼と目を合わせることも無く敷地の出入り口に向かって歩き出す。
背中に感じる彼の視線。
裏切られ傷つけられたのは自分なのに、彼が見せた悲しげな瞳が今も私に向けられていると思うと、どうしようもなく胸が締め付けられる。
最初のコメントを投稿しよう!