最終話 月は満ちて

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 ディアディンは決意した。  長姫たちと出会ってからのこの一年、とても幸せだった。  自分がこんなふうに笑える日が、もう一度来ると、かつては思っていなかった。  でも、だからこそ、近ごろはつらい。彼らがあんまり純粋で、美しくて。自分が彼らの世界にふさわしくないと痛いほどわかる。  その夜の長姫からの使者は、ハツカネズミの精の白しっぽだった。 「小隊長、急いでください。あるじの一大事なんですゥ!」 「長姫に何かあったのか?」 「あったというか、これからあるんです。たぶん……いえ、きっと」  わけがわからない。  なぜか、白しっぽは悲しげな顔をした。 「小隊長……」と言いかけて、涙ぐむ。 「なんだ? 気味が悪いな。永遠の別れみたいな顔して」 「まあ、その……チーズ食べます?」  以前、とりもどした魔法のチーズのかけらを、ポケットからとりだす。白しっぽは悲しくなると、食べたくなる性分のようだ。 「いや、いい。でも、まあ、気持ちはありがとう」  メソメソしながらチーズをかじる白しっぽにつれられて、長姫の待つ部屋へ行った。  あいかわらず、長姫は美しい。 が、ディアディンを見て、うれい顔を見せたのは初めてだ。  おかげで、こっちの用件を言えるふんいきじゃない。 「お待ちしていました。ディアディンさま——白しっぽや、おまえはさがっておいで」  早々に白しっぽを追いだして、ディアディンと二人きりになる。こんなことも今までなかった。 「白しっぽはあるじの一大事と言ってたが、内密にしなければならないほど深刻な問題なのか?」  問うと、ほんのりと長姫は笑う。 「その問題は、のちほど。その前に確認しておきたいのですが、以前、トレジャー族から、魔法の石うすをとりもどしてもらいましたね。あのとき、絵筆をもっていかれましたか?」  図星をさされると、なんとなくバツが悪い。 「かくしてたわけじゃない。あのときはバタバタしたまま帰ってしまったから。トレジャー族の宝は持ちだしに成功すれば、好きなだけ持っていっていいと言ってただろ?」  カードゲームをするとき、机を運ぶふりをして、手近にあった魔法具らしき絵筆をポケットに入れた。手クセの悪さを指摘されたようで、いごこちが悪い。 「なにしろ育ちが悪いからな。いろんな特技をもってるんだよ」 「責めているのではありません。あなたはあの絵筆の使いかたをごぞんじないでしょうから」 「魔法具だろうとは思ったが」 「魔法具は使いかたしだいで、持ちぬしを幸せにも不幸せにもします。人間は欲にかられて、あやまった使いかたをすることが多いので、あなたにはそんなふうになってもらいたくないのです」 「ありがたい忠告だよ」  たぶん、長姫は真実、ディアディンを心配してくれたのだろう。が、そのとき、ディアディンがイラだったのは、前述の理由で卑屈になっていたからだ。  長姫のおもてに、ますます(うれ)いが深くなる。 「……おせっかいでしたね。すみませんでした」  しおれた花のように、うつむかれると、ディアディンの胸も痛む。  なんだか今夜は二人の心が遠いなと、ディアディンは感じた。 「いや、おれこそ、すまない。あの絵筆はどうやって使うんだ? 誰でも天才的に絵がうまくなるとか、そんなものか?」 「あの絵筆で描いたものは、どんなものでも本物になります。食べものでも、家具でも、お城のように大きなものでもです。絵に描かれたとおり、現実になるのです。あんまりヘタクソですと、それなりのものになりますが」 「えッ? 金でも宝石でも、なんでも?」 「はい」  もしそうなら、すごい魔法具だ。コインを入れて叩くと倍に増えるという袋より、はるかにいい。そのつど必要なものが手に入る。 (おれは絵はヘタじゃないってていどだが、ちょっとした静物のデッサンくらいなら、まあ、そこそこ描けるかな。むずかしいものを描くときは、とちゅうまで画家に描かせてもいいんだし。いや、そんな、すごい魔法が使えるんなら、今から油絵をならっても遅くはない。画家になるなら絵心がいるが、そっくりに描くだけなら、技術さえ身につければいいんだ)  日ごろ、それほど富や名誉に執着しないディアディンが、しばらく本気で絵筆の利用法を模索したくらいだ。  魔法具には、たしかに人間の欲望をかりたてる恐ろしいまでの魔力がある。その魔力にとりつかれれば、破滅するだろう。  ふと、われにかえって、ディアディンはそう思った。 (なるほどな。長姫の言うとおり、おれは今、われを忘れかけてた。おれのほんとの願いはそんなものじゃないのに)  ディアディンが望むのは、過去のあやまちを正すこと。  もう二度と後悔しないために。 (もし、死んでしまった人を生き返らせることができるなら……)  もし、おれに、記憶のなかにあるリックの姿を写しとるだけの技量があれば、どうだろう?  誰もがふりかえって見るほどの美少年だったリック。  もし、あの姿を本物そっくりに描いたら、どうなるだろう?
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