最終話 月は満ちて

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 白しっぽは迷わず答えた。 「そうですよ」 「悪しきものじゃないんだな?」 「だれがそんなこと言いました?」 「おまえのあるじだ」 「長姫がそんなことを言いましたか」  くすんと鼻をならして、またもや涙ぐむ。 「あるじがそうしたいなら、われらは誰もとがめません。たしかにミレニアム族に守ってもらえば、ありがたいです。けど、あるじを犠牲にして、われらの平安をとるわけにはいきませんからね」 「そういえば、さっきの長姫は歯切れが悪かった。おれにウソをついて、破談の使者にしたわけか。妙なマネをするな」  すると、白しっぽは急に憤慨(ふんがい)して、ディアディンの胸をポカポカなぐってきた。 「あるじの気持ちがわからないのですか? あなたを愛してるからですよ!」 「ああ……」  それは心のどこかで知っていたような気がする。  うれしいような、悲しいような、この切なさを、どうしたらいいのだろう。  ディアディンが吐息をついていると、背後で似たようなため息をはく音がした。 「やはり、そうですか。あなたを見たときに、そんな気がしましたよ。小隊長」  ふりかえると、木の精の長が立っている。 「私はムリじいはしたくない。身を引きましょう。なに、心配はいらない。あなたがたのことは影ながら見守ると、月のしずくどのに伝えてください」  木の精の長が立ち去ろうとするので、ディアディンは呼びとめた。 「待った。あんたたちときたら、どうしてこう、どいつもこいつも、おれの意思を無視するんだ。おれはただの一度も長姫とつきあうとも、ましてや結婚するとも言ってないんだぞ。ちょっとは、おれの意見をきけよ」  木の精の長は、あの美しい長姫に好かれて断るバカがいるわけがないという顔だ。  ディアディンは口早に続けた。 「あんたは長姫と結婚するんだ。かんたんだ。これから行って、おれが長姫をふってくる。あんたは傷心の彼女をなぐさめてやるんだな。おい、白しっぽ。案内しろ」  ディアディンは白しっぽをせかして、長姫のもとへひきかえした。 「長姫! あんた、おれにウソをついたな? あの男は悪しきものなんかじゃない。こんなふうにウソをつかれたんじゃ、あんたの頼みはもう聞けない。あんたたちとの仲もこれきりだ」 「待ってください。ディアディンさま。わたくしは——」  狼狽(ろうばい)して、とりすがろうとする長姫を、その細い両手をつかんでひきはなした。 「さよなら。月のしずく」 「待って。わたくしは、あなたを——」 「それ以上は言うな。おれは人間で、あんたは魔物。第一、おれはあんたにふさわしくない」  自嘲的(じちょうてき)に、ディアディンは笑う。 「どんなふうにふさわしくないかは、白しっぽに聞くんだな」  言いすてて走りさった。  夢の世界が遠くなる。  ディアディンと長姫のあいだにつながれていた、かけ橋がくずれていく。  何もかも、これで終わりだ。  もう二度と、あの世界へ行くことはない。 (これでいいんだ。あんたに愛されるには、おれはあんまり汚れすぎてる)  そう考えるのに、この虚しさはなんだろう。  翌朝からも、ディアディンにはいつもどおりの砦の生活が待っていた。  ちがうのは、満月の夜の夢のようなひとときが、どこか遠い世界になってしまったこと。  その後、ディアディンは多忙だった。  魔物はディアディンの気持ちなんて考慮してくれないので、好きかってにあばれる。  そのせいか、いやに体が疲れやすい。まるで、だれかが遠くから、ディアディンの力を吸いとっているかのように。 「小隊長。ねえ、ディアディンさん。お願いがあるんだけど」  食堂で給仕をしている少年が、ディアディンをたずねてきたのは、そんなころだ。 「深刻な顔だな。誰かとトラブルでも起こしたのか?」  少年は首をふった。 「ぼくに何かあったわけじゃないんだ。ディアディンさんは絵かきのレイグルと親しいんでしょ?」 「親しいというか、まあ、知りあいだ」 「あの人、ぼくらに似顔絵かいてくれたりして、けっこう給仕の子のあいだで人気があるんだよ。それで心配なんだけど、近ごろ、あの人のようす、変なんだ。何かあったんじゃないかな」  そう言われて、長姫と会った最後の夜を思いだした。  そういえば、魔法の絵筆をレイグルにあずけたままだ。あの絵筆はとんでもない魔力をもってるらしいから、レイグルの身に何かが起こったのかもしれない。 「わかった。しらべておこう」
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