最終話 月は満ちて

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 その日のうちに、ディアディンはレイグルに会いにいった。  レイグルをひとめ見て異変に気づいた。女の子みたいだった顔が、げっそりやつれて、目の下に濃いクマができている。 「やあ、小隊長。もうすぐ、あんたに頼まれた絵ができるよ。自分で言うのもなんだが、いい出来だぜ」 「その話だが、いますぐ、あの絵筆かえしてくれ」  言うと、とたんに、レイグルの顔つきが険悪になった。もともとレイグルは気が荒いが、ちょっと怖いくらいの剣幕だ。 「いまさら、なんでそんなこと言うんだよ。描けって言ったのはあんただろ。もうすぐできるのに。すごく、いい出来なのに。おれの傑作なんだ。あれが仕上がれば、俺は一流の宮廷画家になれる!」  かんぜんに絵筆の魔力にとりつかれていると見た。ここで責めても、ますますレイグルをかたくなにしてしまうばかりだ。 「ああ、おれが悪かった。おまえに才能があることは知ってたが、それほどの出来なら見てみたいな」  レイグルは上目づかいに、ディアディンをうかがう。 「そんなこと言って、絵筆をとりあげる気なんじゃ……」 「絵のできによっては、あれはおまえにやってもいい。やっぱり剣は戦士が、絵筆は画家が持つにこしたことはない。才能があるやつが役に立てるべきだ」  ウソ八百をならべて、おだてあげると、どうにかレイグルは承知した。 「うん。じゃあ、そこまで言うんなら……」  レイグルが案内したのは薄暗い物置だ。 「あいつが人に見られないようにして描けって言うんだ。おかげで昼でもロウソクがいるから、こまるんだよな。ロウソクも上等の絵の具も、必要なものはなんでも持ってきてくれるから、まあ、いいんだけど」  何を言ってるんだと思ったが、絵を見るまではとガマンする。 「あんたは好きに描けって言ったから、別にかまわないだろ? あの筆でほかのやつの注文を受けたって。いや、もちろん、あとまわしになってしまったが、あんたの絵もほとんどできてるんだ。あとは仕上げをちょっとだけ——」  いやな予感がする。  レイグルは似顔絵を描いて日々の稼ぎにしている。だとしたら、レイグルの受けた注文は肖像画のはずだ。  長姫にそれだけはしてはいけないと言われた……。 「早く見せてくれ。レイグル。その絵を」  物置のかたすみに、白い布をかけたキャンバスがある。  レイグルがその布に手をかけたとき、ディアディンたちの背後に影が立った。 「ひさしぶりだな。小隊長」  その声を聞いて、ディアディンは背すじにゾクリと悪寒が走った。  そんなはずはない。  彼はたしかに死んだはずだ。  ディアディンがこの手で炎になげいれ、灰になるところを見たのだから。  だが、ふりかえると、そこにあの男が立っていた。  ディアディンが倒したはずの、絵のなかの男が。  妖しいまでに美しいあの黒髪の男が、金緑に燃える目を薄暗がりに輝かせている。 「バカな。おまえの本体は焼いたのに」 「ああ。そうだよ。君は残酷な男だ。これほど芸術的美にみちた私を灰にしてしまうとは。あやうく消滅してしまうところだった。レイグルの意識に働きかけ、新たに私を描かせなければ、まもなく私の魂は消えていたろう。レイグルはじつに才能あふれる画家だ。おかげで、こうして以前と同じ姿で復活できた」  絵のなかの男はゆっくり近づいてきて、ディアディンの肩に手をかけた。 「そなたのせいで、わが一族はすべて灰となった。かわりにそなたが仲間になるのだ。そなたは強い。才知にもたけている。そなたのような男こそ、わが一族にふさわしい。私の配下となり、永遠の忠誠をちかえ」  ねっとりと吸いつくような指の感しょくが不気味だ。  ディアディンはそれをふりはらおうとするのだが、急速に力がぬけていき、動けない。 「動けないだろう? わが一族は最初に描かれた者が長となり、すべての配下をみずからの手足のように動かせる。そなたは私にさからえぬ」 「なぜだ。そんな……」  ディアディンの問いを、男は一笑する。 「見せてやるがよい。レイグル。そなたの一世一代の傑作を」  レイグルは言われるままに白布をとりはらった。  キャンバスにえがかれていたのは、黒髪の物憂い目をした少年——ディアディン自身だ。  今にも動きだしそうに、生き生きと描かれている。  ディアディンの魂が、そのまま、そこに吸いこまれたかのように。
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