最終話 月は満ちて

8/9
前へ
/72ページ
次へ
 次の満月に、ディアディンは夢をみた。  その夢はいつもにくらべて少しぼんやりしていた。かすみがかかったように、あわく儚い。 「もう会えないかと思ってた。長姫」 「あなたに約束のお礼をしなければ。これまで、われらを助けてくださったのですから」 「そうか。ちょうどよかった」  ディアディンは心に決めていたことを告げた。 「以前、死んだ人間を生き返らせる力はないと言ってたろう? でも、それなら、おれの命をリックに捧げる。だから、あいつを生き返らせてくれ」  長姫は泣いたようだ。 「ディアディンさまはそれでいいのですか?」 「やっと決心がついたよ。あんたたちといると、あんまり楽しくて、幸せで、できれば、このままずっと、いっしょにいたかった。でも、それじゃいけないんだ。今のままじゃ、おれは前に進めないから」  かすみのなかににじむような、長姫のさみしげな笑み。 「時の長老をよびましょう。長老の時間魔法なら、すぎた時をやりなおせます。そこでどうするかは、あなたしだい。でも、気をつけて。あなたの今の記憶がたもてるのは数日が限度ですよ」  忘れる。おれは長姫を忘れてしまうのか。  それが自然の法則にさからって、死んだ人間を生き返らせる代償なのか。  これは罰か?  親友をうらぎって死なせてしまった、おれへの。  これほど愛しいのに、この思いさえ、失ってしまう……。  でも、もう、立ちどまってはいけない。  でなければ、けっきょくは愛しい人にふさわしくない、汚れた自分のまま、深い苦悩の底に沈んでいるだけだ。 「長老をよんでくれ」 「わかりました。それが、あなたの意思ならば」  長姫の気配が遠くなる。  ほんとうは離したくない。  このまま、ずっと、今夜のこの満月のなかに時を止めてしまいたい。 「月のしずく……」  愛していると言葉にしなくても、二人の心はつながっていた。  二人はその夜、とても幸福だった。  いつかまた、この人と会えるだろうか。  いつかまた、満月のときに……?  気づいたとき、ディアディンはふるさとの街に立っていた。体も子どもに戻っている。  帰ってきたのだ。  この場所に。 (でも、なぜだ? おれが戻りたかったのは、十六のあの嵐の日。だけど、これじゃ、もっと昔の……)  ディアディンの体は十さいかそこらになっている。いや、もう少し上だろうか。十一か、十二——  そう考えて、ハッとした。  わかった。  これは、あの日だ。  ミュルトが木から落ちて、歩けなくなる日。  時刻はわからない。  でも、日の高さから言って真昼だ。  これなら、もしかして、まだまにあう!  ディアディンは走った。  塾の友だちに呼びとめられたが、無視して走った。家にもよらず、ひたすら街外れの丘をめざす。 「ディアディン! たすけて! ミュルトが——」  かつて一度見た光景が、そこにあった。  ディアディンは必死に木をのぼった。  まにあって。  今度こそ、まにあって……。  そして——  ディアディンは救われた。  今度はもう悲しいことは、なにも起きない。  ミュルトはディアディンにつかまれ、リックと二人で枝の上にひきあげられた。 「よかった……ほんとによかった……」  ミュルトは助かった。  ミュルトが助かれば、リックが望まぬ結婚をしなければならない理由もなくなる。  あの嵐の日、リックがディアディンをたずねてくることもない。もし、たずねてきたとしても、今度はディアディンが全力でリックを助ける。  だが……そのかわりに失ったものもある。  とても大きな代償……。 (長姫。月のしずく……)  過去に戻った自分は、数日しか、未来の記憶をおぼえていられない。  砦であったことはすべて忘れる。  小さいけれど、大きな勇気をもったジャイアント族。  人なつこい白しっぽと、その一族。  ニョロニョロで悩まされた白ヘビたち。  バラの精。  カラスの精。  あの美しい長姫のことも……。  ぶじに木からおりて抱きあうリックとミュルトを見ながら、ディアディンは涙をながした。
/72ページ

最初のコメントを投稿しよう!

56人が本棚に入れています
本棚に追加