第三章 救われきれないもの

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「でもこんな場所だったら、もっときちんとしたかったな。」 亜紀は残念そうに言う。確かにもう少しアクセサリーでも着ければ華やいで見えるのに。健治はそう思い、すこし励ますことにする。 「でも、そうすると俺がもっと浮いちゃうぜ?」 健治はあはは、と言って腕を広げて自分の服を見せる。亜紀はそれに苦笑して応えた。 実際、亜紀の服装は健治の服装に比べれば遥かにマシと言えた。何せ、健治の服装ときたらジーンズにTシャツ、上からジャケットという格好なのだ。街中を歩くのと大して変わらない。 傍から見たら変な取り合わせだろうな、と健治は思う。おおよそ場の雰囲気としても、二人の組み合わせとしても釣り合わない格好。 無難にいくなら、以前親戚の葬式用(!)に買ったスーツでも来て来れば良かっただろうか。だが、健治はスーツというものが好きではなかった。 ―あんなものは、飼い犬の着る服装だからな。 小さい頃には大人の象徴として思い描いていたスーツ姿。だがそれは、今の健治にとって嫌悪の対象でしかなかった。 その嫌悪感は、健治のサラリーマン時代の記憶によって生じていた。あの頃の健治には自由も誇りもなかった。ただ周りに合わせて同じような格好をして、上司のいうまま動いているだけだった。 ネクタイが、自分を会社に繋ぐ首輪に思えた。自由はそこにはないと思った。スーツとは不自由の象徴だと知った。 本当に会社を仕切っている人間は、ラフな格好で株主総会にふらっと出席した挙句、社長や専務に苦言を言って帰る株主たちなのだ。なんせ彼らの前では(自分よりも多少良いスーツを着た)専務や社長も畏まっているしかないのだから。 だから、健治もそれに倣った。逢えてラフな格好でやってきた。 レストランだろうが何だろうが、他の人間の格好など気にしなければいいのだ。こういう場所に好き勝手な格好で来ることこそ、自分が特別な存在であるという証なのだから。そんな事を考えていた。 健治は亜紀に対しても、ゆくゆくはそう教育していくつもりだった。型にはまるのなんて辞めちゃえよ、そう言って聞かせようと思っていた。 ―まだ付き合ってもいないのに、もう相手を教育なんて考えている。
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