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今でも心を捉えて止まないのは、笑い合うときの輝き、心配するときの優しい声、腕に頬に、触れるときの温もり、すべて押し流してちらりと浮かぶ幸せな記憶。それだけ残してわたしから遠ざかる背中。
縋ることもできなかったこと、やっと後悔しなくなりました。あなたらしく生きるのを、邪魔するなんてできなかったから。わたしだけを見てなんて、決して言えなかったから。
人生の始まりの日を、鮮明に覚えている。
文久三年、春五月。
後の世に“幕末”と呼ばれる時代。
十五の少女は、京にいた。
島原の老舗置屋で働いていた少女が、初めて芸妓としてお座敷に出る日。
生涯忘れない、忘れられない出逢いの日。
お座敷に出るのはどうしても怖かった。
覚悟をしていた筈なのに、何が悲しいのか自分でもわからないままに、ただ涙が溢れた。覚悟……なんて本当はできていなかったのかもしれない。本当は、いつ逃げ出そうか考えていたのかもしれない。
「うん、もう大丈夫!」
急に泣き出してしまった少女に、女将は優しく声を掛けた。
少女は置屋の女将を“お母さん”と呼んでいた。実の親は、九歳の娘を遊郭に売ったのだ。実の娘のように可愛がられた。親を恨む気持ちなど起こらないくらい、すっかり忘れてしまうくらいに。
「そないに嫌やったら、無理に今夜やなくてもええんよ」
「平気! 少し緊張し過ぎただけだもん。踊りが上手くできるか心配だったの」
笑顔を作って嘘をつくが、全てを見透かすような優しい眼差しに、ぷいと視線を逸らす。
「そやったらええけど。……あんたは誰が見ても可愛らしい顔してはるし、舞も可憐や。でもな、その言葉だけはなんとかならんの?」
わざと意地悪そうにして、冗談ぽく言った。
「はぁーい。気を付けまぁす」
江戸の生まれなので、気を付けていないと訛りが出てしまう。やわらかな京ことばがお座敷では好まれるのに。
幸い、江戸弁が出てしまうのは心から安心できる女将の前だけだった。舞の先生の前でも、同じ置屋の先輩芸妓の前でさえ、自然と京ことばで話した。
「そないな生返事して。もうええから、その辺出かけておいで」
「えっ! いいの?」
本当の芸妓になったら、昼は稽古で夜はお座敷。今までのように好き勝手に、たくさん外には出られない。
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