月が照らす野原を

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 こんなに傘を傾けてくれては、弓継くんが風邪を引いてしまう。  わたしは余程、哀れに見えるんだ。 「月野さん、黒も似合うね」  特に派手好きというわけでもないつもりだけれど、紅や桜、鮮やかな色ばかり好んで着ていたから、こんなに黒尽くめを選んでいると可笑しいかな、と想像していた。形だけは尼僧なのだから当然だけれど。  この色は、憎しみを潰して隠す暗闇。 「ありがとう」  そうなのかなぁ、首を傾げてしまった。 「うん、おとなっぽい」 「ええ? ……もう、“おとな”をからかわないで」  思い描いていた人間とは掛け離れているけれど、年の数だけは世間的に大人だった。  弓継くんは声を上げて笑うけれど、笑顔とは人に向けるものだから。  相手の顔が見えなくなってからは、どこに向かって笑えばいいのかわからなくて。  無表情になっていると思う。それが癖になっていた。 「どうして、わたしを捜したの?」  これじゃあ、捜してほしくなかったって言っているみたい。そんなことないのに。身勝手にも嬉しかったのに。  弓継くんにどんな顔をされているか気になる。  でも見えないからって、わたしはまた無神経になっていく。よくなったのは物を聞く感覚や触れて触れられる感覚だけで、相手の心を汲む精神は相変わらずに未熟だ。 「三年間、駆けずり回っちゃった。せっかくの最新医術も宝の持ち腐れだよ」  何も話さないまま訊ねた癖に、ごまかされると歯痒かった。そんな迷惑を掛けていたなんて、自身には苛立ちさえした。  傘を打つ雫の間隔が、だんだん広く、弱くなる。足元にコロリと傘が回ったのか、骨が少し当たった。  わたしの両手、弓継くんの両手に包まれながら、理由もわからず震える。やっぱり弓継くんは濡れていた。 「俺の手は、月野さんを治す為にあるんだ。あなたにもう一度、世界をあげる」  愛するひとのいない現世(うつしよ)なんて、見えても見えなくても同じこと。  喪ったその日に思ったのは真実。  けれどわたしは手術を受ける為、二度と踏み入れることはないと覚悟していた東京へ向かった。  新しい政府の中心地らしいけれど、土方さまの生れ故郷で、総司さんの眠る場所、という認識しかなかった。  総司さんがどこに眠っているか、知っているのに、まだ行く勇気もないくせに。
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