175人が本棚に入れています
本棚に追加
俺はなぁかっちゃん、あんたを大将にする為なら何だってやって見せるぜ。
そう、微笑んでさえいられる。
芹沢とお梅、何度ともわからないくらいに契った後のことだった。
「お梅……お前は頭のいい女だよな?」
「……なんですか、急に」
「……いつまで……わしの元に居る?」
芹沢はふいに、呟くように別れを切り出した。
「いつまでも! ずっとお梅は、あなたの傍に……」
「駄目だ」
鉄扇を手に持つのが癖の芹沢は、やはりそれで、ぴしゃりと畳を叩いて、容赦無く遮った。
菱屋には、愛されていると信じていた。
しかしどんなに想っても、待遇、気持ちはいつまでも“妾”でしかなかった。
正妻はもちろん、家族、そして近所に住む人々までもから、“妻のある男を誑かした好色女”と蔑まれてきた。
周りにはなんと言われてもかまわない。
それ以上に哀しかったのは、菱屋でさえ“そういう女”だと思っていたこと。妾で満足しているような女だと見下していたこと。
そしてどんなに想っても生涯、一番愛している人の“一番”にはなれないことだった。
そんなお梅を、芹沢は求めた。
「お前が商人の妾だなどと役不足だ。大将の……わしの女になれ」
最初は近付くだけで斬られそうな威圧感と恐怖をひしと感じていたが、その奥に隠された優しさ、そして孤高特有の寂しさを知り、次第に惹かれていった。
自分だけが、“本当の芹沢鴨”を理解できる……と思えることは誇りでさえあった。
「お前ならわかる筈だ……わしはもうすぐ……」
このとき確かに、慈しみを肌でさえ感じた。
「あなたの女はあたしです。誰にだって譲ってあげないんですからね」
「違う! そうではない、わしは……」
「わかっています」
この世の話はすべて、生き残った“勝者”の語り事。この世の人がなんと言おうと、あなたの真実を。
慌てて取り繕おうとした芹沢の両目には、俄かに光るものが滲み出ていた。
「お梅……明晩、角屋で隊の宴会がある」
「まぁ、あまり呑み過ぎないでくださいね? あたしが、待っているのですから」
得意の、愛しさを込めた流し目に応え、
「明後日にでも、そろそろヤツらに話すか」
と身を向けた。
「何をです?」
最初のコメントを投稿しよう!