第二章

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「では、逃がしたとする。その後そいつらが、芹沢達を殺したのは新撰組隊士だと触れ回ったらどうする? 隊士達が動揺したら? 近藤局長に不信感を抱いたら? 京雀が、会津公の指示だと推したらどうするのだ」  既に二の句をつぐことができない彼らに、さらに畳掛けた。 「今夜の事は、墓場まで腹ん中に留めておけよ」 ――……  土方が側に合った立派な屏風を二人が眠る蒲団の上に倒す時、沖田はお梅を見た。  ……眼を……開けた!  驚くのも束の間お梅は咄嗟に芹沢を庇い、覆い被さった。 「待……っ」  瞬間、僅かに見えていた白い足首が反動で動いた。屏風と蒲団の隙間から血が流れ、畳に染み込んでいく。お梅は、声さえ上げなかった。  新撰組が借金をした菱屋は取立てに妾を寄越した。それを芹沢は手篭めにしてしまった。そのお梅は屯所に自ら来るようになった。沖田は、確かに軽蔑していた筈だがしかし。  僕は……何をしているんだ……。  土方は無表情。そのままもう一度、今度こそ“標的”を突こうと刀を引いた。 「……芹沢さんっ!」   沖田は声を振り絞って、その名を呼んだ。  眠ったまま斬るなんて……冗談じゃない。  驚愕と憤怒の空気が満ちるのが、手に取るようにわかった。隣に居た刺客に肩を掴まれた。無言の怒り。沖田はその眼を真っ直ぐに見つめる。  間違ったことなんてしていない、と。  その間に、芹沢は気怠(けだる)そうに半身を起こした。上にある屏風を片手で軽々押し退けて。お梅の身体がごろりと転がった。 「……やっと来たか」  企てを知っていた。  悲しくも悔しくも、何ともなかったといえば嘘になる。  ただ知っていた、というだけだ。  芹沢は、自分が単なる駒に過ぎないと知っていた。新撰組という生まれたての若い組織が、大きく成長し、飛躍する為の。  怒りさえ感じなかった、という事実も嘘になるのだろうか。  綺麗事だと、負け惜しみだと人は笑うのだろうか。  新見が切腹した夜のことだった。 「芹沢さん、あんた逃げた方がいいぜ」  ついさっきまで目を据わらせていた永倉が、急に真面目な顔を作った。しかし片手では猪口を傾けている。 「なんだと? どういう意味だ」  芹沢は、凄みを利かせたような声で応じる。酒癖の悪いこの男の、地声ともいえる。
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