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「ただいま~」
僕はカギ使って玄関の扉を開く。
足もとをみれば、そこにはきちんと整った靴がある。
自分も同じように脱いだ靴を揃えた。
リビングの扉の隙間から温かい光が漏れ、誰かがいるのがうかがえる。
さすがにもう夜の八時だ。家族全員帰ってきているのだろう。
僕の帰宅を知らせるべくもう一度「ただいま」と、言った。
「あら、お帰り。夕飯はもう食べたの?」
「いや、まだ食べてない。何か残ってる?」
「残ってるわよ。今日はオムライスだけど、食べる?」
オムライスだと!? 僕の大好物じゃないですかお母様! 僕は無邪気にもはしゃいで言った。
「もちろん、食べる食べる!」
僕の嬉しそうな顔を見て、やれやれ、とでも言いたげなこの人。
この人こそが僕のお袋の来栖安子(やすこ)だ。
ちゃっちゃとオムライスを温めなおしながら、同時にサラダも作るお袋。
それから僕は、野球中継に集中しているこの男に視線を送る。
「親父、ただいま」
こちらを振り向きもせずに、男は短く応答した。
「……うむ」
うむ、じゃなくてもっと他に言うことあるだろうが、ってツッコミたくなるこの男こそ僕の親父の来栖春治(はるじ)だ。
趣味は家で野球中継を見ること。それだけ。たったそれだけ。
家族のために必死に働き続けているとは言え、その末路がこうともなれば、なんだか大人になることが酷くつまらないものに思えてしまう。
そうは言っても、いつかはみんな大人になっていく。
それに抗うことはできないし、別に抗うつもりもない。
むしろ、うちの親父のようになれることはある種の幸せなのかもしれないな。
結婚して、子供ができて、老いていく。こんな普通のことでさえも実は難しい。
結婚ができない、子供ができない、若くして命を落とす。
すぐ目の前にそれはいつもある。そう、普通ではない異常はすぐそばにあるのだ。すぐそばに。
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