第1章

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「いちおう、今日も扉越しに声かけてみるよ」 「ええ……お願いするわ」 妹が引きこもり始めてから、ほぼ毎日これが日課となっている。 一度として返事が返って来たことなどない。 けど、もしこの日課をやめてしまったらいよいよ兄妹としての繋がりが消えてしまいそうで恐ろしいのだ。 そう、これは妹のためというよりは自分のためと言ったほうが正しいのかもしれない。 重い足取りで階段を上がり、二階を通り越して三階へと上っていく。 ちなみに、二階には僕と両親の部屋が、そして件の妹の部屋は三階にある。 たかだか一階から三階へと上るだけだと言うのに、こんなにも苦しいのは何故だろうか。 呼吸が乱れているわけでもない。 ただ、胸が苦しい。 コンコンと扉をノックして、僕は部屋の主へと話しかける。 「凛子? 起きてるか? もし何か僕にできることがあったら遠慮なく言ってくれよな。僕はお前の兄貴なんだからさ……それじゃ、お休み……凛子」 りんこ、と平仮名で書かれたネームプレートのぶら下がる、この真っ白な扉が僕にはやけにくすんで見える。 「……」 当然のごとく返事などない。 返事がないことに一抹の寂しさを感じながらも、心のどこかでは安堵している自分がいた。 もう話しかけないで、そう言われなかったことへの安心なのか。 それとも、妹がいないことが日常と化している、そんな平穏が壊されることなく済んだそのことへの安心なのか。 「ま、いちいち悩んでても仕方ないな」 心の奥で渦巻くこの曖昧な感情を打ち払うべく声に出す。 階段を下りるから、かどうかは分からないが、先ほどとは打って変わって足取りが軽く感じる。
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