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天川 青大さん 2014/10/17 17:27
続きです。
「存じております大和さま。わたくしはこの屋敷のメイド光と申します」
大和が軽く会釈すると、光と名乗ったメイドは、 大和の車から向かって、屋敷の右側を差した。
◆《光と名乗った》は不要。科白で、光と申しますと言っている。くどい。
《大和の車から向かって》も不要。 《差した》は、指したが適切。
「あちらが駐車スペースの入り口になります。標識もありますので、空いてるスペースへどうぞお停め下さい」
◆《入口です》が適切。
しかし、この場合は科白なので直さなくても可。
【こちら、タヌキそばになります】などと言いながらドンブリを置く店員はざらにいるので、日本語を正しく使えないキャラクターを表現する為の科白としてなら可という意味です。
【タヌキそばになります】は、これからタヌキそばに変化・変身するという意味。
そば屋の店員なら仕方がないでしょう。勉強していないのだから。
しかし、プロ作家が、こんな事ではいけません。
《あちらが駐車スペースの入り口になります》とは、今は入口ではないが、見ている間に入口が出来ますという意味になってしまう。
煩いようですが、小説を書く者は、一つ一つの言葉を理解して正しく使わなければいけません。
何故なら学生が間違ったまま覚え、真似をするからです。
プロ作家は、アマチュアとは注目の度合いが違う。そこを弁えるべき。
プロ作家たる者は、作品の内容や表現力が学生達に影響を及ぼす事を考慮して執筆すべきなのです。
たかだか6頁(章タイトルを除けば実質5頁)の中で、全ての頁に指摘箇所がある。
書籍化される場合は、普通は編集者から直しの要請が入る。あるいは校正者が直すものですが、この作品は、校正されていない。
これは、校正費用をケチったか、どうせ、誰も何も分からないと読者をバカにしたか、どちらかです。
「読者は、誰も何も文句をつけてない。レベルの低い者同士で認め合って、誉め称えてくれているのだからイイ じゃないか」
ファンはひいき目に見てくれるものです。
しかし、だから良いという屁理屈は通らない。
それは屁理屈なのであって、まともな仕事をしなくて良い理由にはならない。
プロ作家は基本的な修辞の問題でアマチュアなどから指摘を受けないように精進すべきなのです。
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