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「じゃあ、今日はありがとう」
私がタクシー代の千円を差し出して言うと、フミくんはそれを受け取らずに、
「部屋まで送るよ」
と言った。
「え、いいよいいよ、悪いし」
と断る素振りをしたが、悪い気はしなかった。部屋の前まで送ってもらうくらいいいよね、と、単純に考えていた。
タクシーをアパートの前につけて、階段で三階まで登る。
ーーかん、かん、かん、かん、かん、
階段の音が、まるで私の心音のように辺りに響いている。ゆっくりと、着実に、上昇してゆく。
「キレイなとこだね」
と言ったフミくんの手が、一瞬だけ、わたしの手の甲に触れた。そっと、風を撫でるような触れ方だった。
「そうかな。まあ、新しいほうなのかな?」
自分が何を言っているのか、よくわからない。
ずっと早めだった鼓動が、益々波を打つ。
私は必死に言い聞かせる。自分の立場を考える。落ち着かなければ。
ーーフミくんは友達だ。フミくんの彼女も友達だ。そして私には、大切な婚約者がいる。
だけど……。
今、この場で、それはどれほどの意味をもつのだろう。
この胸の高まりの正体を言葉にすることで、私は何を得て、何を失うのだろう。
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