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「ねえ」
と、フミくんは言った。彼の左手は、私の右手を、しっかりと捉えている。
「上がってもいいかな?」
私は前を向いたまま、えっ、と声にならない声を出す。
いくら鈍感な私でもわかる。部屋に上げるということはーー大切な人を裏切るということだ。
動けなかった。動けない。手を振り払うことも、握り返すこともできない。
フミくんは手を離すと、今度は腰に手を回してくる。彼の細身の身体が、私の背中にぴたりとくっついている。背中が、真冬だというのに、じわりと汗ばむのがわかった。
そして彼はーー、信じられないことを言った。
「月曜日に会ってからさ、俺、ずっと葵ちゃんのこと、気になってたんだ」
「え?」
私はあんまり驚いてつい後ろを振り向き、さらに驚いた。
彼は微笑んでいた。まるで、悪いことなど何も言っていないように。
私の知らない声は続ける。私の耳元で、そっと、囁く。
「正直、今は香澄よりも」
香澄よりも?
さっきまで、あんなに香澄のことが大切だという顔をしていたのに?
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