桜庭奏の正体

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きっと、他の客達も同じ心境だと思う。 咳払い、パンフレットを捲る音、話し声。 そんな中、タキシード姿の父さんが舞台上に現れた。 父さんが姿を見せた途端、さっきまでの音や声がピタリと鳴り止み、静寂が辺りを包み込む。 ピアノの前まで歩いた父さんは、客席に向かって一礼をすると、ベンチ型のピアノ椅子に座り、ペダルの位置を確かめる。 そして、鍵盤に両手を乗せると、一呼吸置いてから指が滑らかに動き出した。 優しい軽やかな旋律。 可愛らしく、明るく、愛らしい、そんな少女を思わせるような曲。 17のポーランドの歌 作品74より第1曲『願い』 フレデリック・ショパン作曲。 独訳で、『乙女の願い』とも呼ばれるこの曲は、元々は歌曲として作られた。 父さんが弾いているのは、フランツ・リストがピアノ独奏用に編曲したものだ。 乙女の恋心を歌う歌で、歌詞も、とても可愛らしい内容だ。 流石、父さん。 ゆっくりと周囲を見ると、女性客の目がうっとりしているのが分かる。 この曲は、女性に好まれる曲だと思う。 一曲目で、女性客のハートをがっちり掴んでいる。 それに、見事としか言いようのない音の表現力には、毎回感心させられる。
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