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「和泉くん、こっち見て」
「……っ」
ほっぺたをフワリと挟まれて
羽柴先生に向けられた顔。
「わかる?大丈夫だから……
息、できる?」
「はい……」
別に先生をどうこう、という訳ではない。
だから僕自身が驚いている。
もうひとつ驚いている事は
羽柴先生の顔が思ったよりも、傷だらけだった事だ。
赤く切れて、内出血もある口の端(ハタ)。
さらに塗り重ねたように紫斑が広がっている。
鼻はまだ流れるどす赤い液体。それを厭わずに僕の
疎らな視線を合わせようとする。
……呼吸が楽になったのは事実。
だから、思ったんだ。
僕はこの先一生、松岡先生には触れられないのかも、と。
「信弥、和泉くんの心は揺れている。
今日は帰った方がいいんじゃない?
責任もって送っていくよ、心配要らない」
「お前の言うことは信用ならない」
「もう何もしないよ」
クク、と喉を鳴らした羽柴先生は松岡先生を押し退けて
バスタオルを取り、それを僕にあてがった。
「……一人で帰れます
だから、お二人とも、心配なさらないでください」
コホ、と小さな息を吐き
僕はやっとの事で立ち上がった。どちらの先生も視界に入れないようにして、シャワーで足元を流し、口をゆすぐ、
今後の身の振り方を、ちょっと考え直した方がいい。
僕は、この小さな歪みまくった世界にいる事を、拒絶したんだ。
それから二人がどんな風にして、どんな会話をしたのかも知らない。知らないまま僕は羽柴先生のマンションを飛び出していた。
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