第1章

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 拙僧は供養寺と呼ばれております古寺の住職です。 供養寺というのは、まぁ、土地の皆様だけでなく、 地方から参拝にお越し下さる方が、そのような名で お訪ねになるんですが、正しくは朴念寺と申します。  はい、そうです。本来は取材は御遠慮頂いてます。 理由という程の事ではないのですが、特定の日に、 毎月、全国から送って頂いた人形ですとか、お写真 最近ですと動画を撮影したデータ等もありますが、 先代、先々代と伝わる所、戦前の絵画やお手紙とか 存命されていた頃の古着等、そういったモノを、 供養して欲しいと。まぁ、そういう事をお受けして それ以来、あくまで御仏の慈悲がありますように、 毎月、特定の日の深夜に、供養をさせて頂いてます。  はい、あ、いや、ちょっとですね。供養する事は 取材する事は、どうぞ御遠慮頂きたいのです。 えっと、先代以前からご供養を申し出て下さった、 ご親族の方々にも、立会いは遠慮していまして。  え。いや。特に何か事故があったとか無いです。 取材を断るから、そのような噂がたつと言われて、 ゴシップ雑誌に書かれた事も存じております。 よく言われます、誤解を生じる言葉だと聞きます。  秘匿するから誤解が生じると仰られる方は多く それは、実は逆なんですね。秘匿という事ではなく こういった供養、施餓鬼は葬儀と違って、ご親族や 故人と近い方々ですね。まだ御仏に至る時期を、 過ごされておられない方々に、不安をお与えしない そういう配慮を配る為に、供養させて頂いてます。  つまり、供養、施餓鬼において、当寺なのですが こちらでは、折角、御仏への供養をしていても、 同座される方が居られると、その仏様のお気持ちを 深くご自身の心に、思われる事があるわけです。  つまりですね、当寺が供養寺と呼ばれるのは、 そのようなご遺族、ご親族、といった近しい方々の 慈悲深い心がある故に、供養と無関係な気持ちを、 お持ちにならないように。そういう意味で取材も ご親族であっても同座されます事を、遠慮してます。  現代的と申しますか、現実的な言い方ですと、 本来、その故人であられる御仏に無念や怨念という そのような気持ちは無いのです。元もこもなくとも、 既に荼毘にふされ、物質とは違う世界におれられ。 あの。ああ、いや、ちょっと。落ち着いて聞いて、 頂けませんか?滅茶苦茶に耳聡いのは結構ですが。
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