第一章 米仏ソ世界枢軸誕生

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第一章 米仏ソ世界枢軸誕生

時は流れ、 西暦 1947年 欧州各地でニュース速報が相次ぐ。 欧州各地で、立て続けに爆破事件や殺人事件が起こり、欧州の社会不安はこれまでより更に拡大、深刻化し人々を恐怖に陥れていた。 新聞等は、アナーキスト(反政府主義者)の仕業かと報道していたが、真実は誰にも分からなかった。 この年の10月には、オーストリア=ハンガリーのウィーンで爆破事件が発生し、多数の死者・負傷者が出た。 2ヶ月後の12月には、ドイツ、ストラスブールで爆破事件が起こり、ドイツはフランスがやったと思い、両国関係は悪化し始めていった。 年が開けて、1948年3月 フランス、パリの凱旋門ホテルでは、ドイツ人実業家主催の、各地の実業家達を集めての通商会議が行われた。 「例え政治が我々を隔てようと、貿易で繋がろう。」 そう、ドイツ人実業家が発言し、会議が始まった所で、運び込まれていたケーキが爆発。 そこにいた、多数の人々が負傷した。 これを受け、フランスは今回の爆破事件をドイツ側の報復と思い、両国関係は一触即発状態になっていった。 そして、爆破事件はこれ以降も各地で続いていき、その度に欧州各地では緊張が高まっていった。
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