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「……さん、……松浦さん!」
書類を手に、ぼうっとしていた。
今までも開いていたはずの目に、突然光が飛び込んできた。
耳元に掛けられた声はいささか大きく松浦はひくりと肩を揺らした。
「あ……、ああ、どうした?」
顔を上げたのだけれど声の主、山下を見ることが出来ない。
松浦はきっちりと結ばれたピンク地に光沢あるグレーのラインが入ったネクタイ辺りにうろうろと視線を彷徨わせた。
そんな松浦の様子を見ていた山下は大きくため息を付く。
「どうした?じゃないでしょう、こっちが聞きたいですよ、どうしたんですか?」
そんな顔して、と山下は続けた。叱られているようだ。
普段、対人距離をしっかりとっている印象の山下にしては語尾の強い詰問口調に松浦は山下から視線を外した。
見回すと誰もいない。
四つ組まれたデスク上は主の性格が出ている。
一番物が置かれていないのは宮倉で、ペン入れ、小物をカラフルに飾り付けているのは坂下。
瀬戸は……今はしょうがないのかも知れない、片側に崩れそうな程書類が積んである。
山下のデスクだけ置かれたデスクトップ型のパソコンが立ち上がっている。画面を社のロゴが左右に流れる。
壁の時計に目を向けると十二時半。ああもう昼だったのか、気が付かなかった。
「いや、別に、」
「松浦さん、なんかあったんでしょう?ちゃんと食べてます?」
強く聞かれ、口ごもる。
そういえば、四月、課長に昇進してから職場で山下に名前を呼ばれた事はなかった。
「うん、大丈夫だから、」
目を伏せたまま微笑んだ。
怖くて顔を見られない。
心配されている、そう思う。
そう思うのだけれど、分からない。
社員旅行の前だったらこの言葉をそのまま受け取れた、きっと心配してくれたことを嬉しく感じただろう。
今は……複雑だ。
12月に入った途端、膠着状態だったプロジェクトが動き出し課内は慌ただしい。
海外営業部と連携して進めているそれは瀬戸が担当しており、今は宮倉がサポートに入っている。
契約まで漕ぎ着けると直近三年でトップの大取引になるので海外営業部も力が入っている。
もちろん我が課も同様で瀬戸は日が進むにつれ緊張を纏うようになった。
瀬戸の最初にとった小さな契約が根になった取引なので思い入れも強いのだろう。
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