井上誠一という男

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「はいはい、そこまで」 二人を制止したのは、バーテンダー兼厨房担当の春日陶子。 この店のオープン時からいる最古参の店員で、店内のまとめ役を担っている。 「井上くん、火野くんからかって遊ぶのやめなさい。で、火野くんはいちいちムキにならないの」 「すみません」 弦はしょぼんとしたが、誠一はにっこりと笑って受け流した。 「着替えたら厨房の手伝いに入ります」 更衣室で制服に着替え、髪の毛が落ちないようネットで覆う。 厨房に入ると、既に秘伝のデミグラスソースの良い香りが漂っていた。 「失礼します。店長」 「こんにちは。誠一君」 穏やかな笑顔で出迎えてくれたのは、この店の店長だ。 コック帽がよく似合うロマンスグレーの紳士、とでもいった風貌の持ち主。 元は洋食屋で働いていたそうで、お酒が飲めない人も店長が作るオムライスやハンバーグを目当てに来店する程の腕だ。 「付け合わせの野菜とサラダ材の下準備を」 「はい」 不思議と心地の良い沈黙。
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