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(悔しいけど・・・やっぱりいいな)
弦のピアノとケイの歌が店内を彩る。
口は悪いし、普段も言いたい放題言いあう関係だが、この二人の演奏は好きだ。
その時。
―パリンッ。
鋭い音が店内に響いた。
おそらく誰かがグラスを割ったのだろう。
そう判断した誠一は、熱いおしぼりとダスターとホウキとチリトリを両手に持って、音の発生源まで早足で向かった。
見れば、長い髪をアップスタイルで纏めた女性が素手でガラスの欠片を集めようとしていたので、彼は咄嗟に声をかける。
「お客様、そのままで結構ですよ」
「でも・・・」
彼女と目があった途端。
切れ長の瞳に吸い込まれそうになる。
少し地味、でも上品な美人。
「危ないですから。・・・お洋服は大丈夫ですか」
「少し濡れたようだ」
相席している眼鏡をかけたスーツ姿の男性が割って入った。
(なんだ・・・男連れかよ)
「こちらをお使い下さい」
彼女におしぼりを手渡し、誠一は手早く割れたグラスを片付け、濡れた机と床をダスターで清掃する。
「あの・・・ありがとうございました」
オフィスでも目立たない、薄い色のネイルをした指先。
花がほころぶような笑顔。
けれど特定の男性がいる。
その事実に何故か少しイラッとしている自分を悟られないよう、誠一は営業スマイルを総動員した。
「礼には及びません。仕事ですから。どうぞごゆっくりしていって下さい」
それが、彼女との最初の出逢いだった。
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