一、枯れた大地

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カルサルと呼ばれるこの大陸には、大地を東西に分かつ大河、ブリューが流れている。このブリューを挟んで、東の大国ザサイラム王国と、西の大国、神聖エルセア王国とが大陸の覇を争う時代が長く続いていた。けれど、その長い戦争も、ブリューの周辺地域を緩衝地帯とする賢王達の条約の締結によって、一応の終結を見た。 その後の二大国の辿った歴史は、全く異なるものであった。エルセアが強力な王権を築き、王自らが最高位の神官となることで、周辺の小国をエルセアの政治体制の中に取り込む事に成功する一方で、ザサイラム王国は、周辺諸国はもちろん、功ある地方の小貴族にも領地を与える温情政治をとった。 戦後、長く混乱の続いたエルセアをよそに、温情政治による安定した国家運営により、ザサイラム王国を中心とした、一種の国家連合体は戦後の春を謳歌した。しかし、ザサイラムの力は日増しに弱まり、反して、周辺諸国や領地持ちの貴族は日増しに力を増していった。 それを重くみた時の国王は、ザサイラムの貴族のみで構成されていた王立騎士団に、諸王国の貴族の子弟を徴収する政策をとる。これが、後にザサイラム王立騎士学校のもととなるのだが、当時、それは周辺国から間諜を招き入れかねない危険を抱えながらも、貴族の子弟を人質にとるという苦肉の策として認識されていた。 一方、長い混乱の時期を策謀と武力によって平定したエルセアは、強力な国有軍を組織する。未だ騎士を中心とし、有事にのみ平民を招集する旧態依然の軍事編成から逃れらないザサイラムを尻目に、3年の徴兵と、職業軍人の育成及び、集団戦の採用により、エルセアの軍事力はザサイラムを遥かに凌ぐものとなった。ザサイラムがエルセアを警戒するようになってきた十年程前、エルセアは突如として緩衝地帯から僅か離れた場所に、小さな要塞を築いた。 その要塞を臨む、ザサイラム側の緩衝地帯、賢王の一人の名をとり、アリへと呼ばれるその場所に、アーデルハートとグロウは居た。
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