第1章

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  11月の夜は寒い。 なんて当たり前のようなことを頭に浮かべながら、騒がしい色のついた雑踏の中を黙々と歩いていく。 この時期の夜は空気が昼間以上に澄んでいて、あちこちで点滅するカラフルな電飾たちがより一層その黒に映えて見える。 そんな穏やかな帰路の途中、マスク越しに白い息を吐き出しつつ、気まぐれに目線を一つ上げビルの隙間から僅かに見える暗がりを眺めてみた。 その見上げた先にある暗闇に、特別何かを期待していた訳ではなかったのだが、細長い電線越しに見えるカラーコード「0」の世界には星なんて見当たらなくて。少し気落ちしてしまう。 それでも、そこに見える霞んだ夜空の足跡を目でなぞるたび進む足が緩んでしまうのは、きっと……私が「夜」という一日の最終地点をなによりも好んでいるからなのだろう。 遠いようで近い酔っぱらいの騒ぎ声も、店の呼び込みも。どこからか聞こえてくる犬の鳴き声ですら今は耳に心地よく響く。 やっぱりたまには歩いて帰るのもいいなあと、口の中だけで呟いたとき不意にその場にそぐわない甘い香りが私の鼻孔をかすめて行った。 ん……? なんだろうこの香り。よく知っているもののような違うもののような……と、ささやかな好奇心を折りまぜて上げていた視線を一つ落としてみる。 すると、そこには一軒のこじんまりとした花屋が派手なビルに挟まれるようにして暖簾を掲げていた。 ああ、そうか。花の匂いだったのか。 夜の店で働く人たちの為にと深夜営業をしているその花屋は、私も前に一度だけ利用したことのある店だった。確か店の名は「ツバキ」だったような。そうそう、思い出した。 あの店、セクシーなオネェの店長が一人で切り盛りしてるんだよね。……そうだ! 今日は疲れてるから帰るけど、明日にでも差し入れ持って訪ねてみよう。店長、きっと喜んでくれるはず。 と、店先に並ぶ鮮やかな花をサングラス越しに見つめていた時だった。
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