第1章

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 人間の一生には図り知れない出来事が起きるものである。  これは全く「神のみぞ知る」としか言えないのだ。 松尾芭蕉の「奥の細道」で「人生は旅であり、行き合う人、親子でも夫婦でも友人でも皆旅で行き合う道連れである」と云って居る。  道ずれとフト別れる時が何時来るか判らないのが、束の間の人生しか生きられないあらゆる生物の運命なのである。  私達の様に90歳までの寿命を恵まれた者には、生まれてから今日までがすごく長く思えるが、本当は「お釈迦様の手の平を走る孫悟空」と同じでアツと言う間なのらしい。  然し「旅の道ずれ」と云っても、連れだって歩いた期間が多い程その「別れ」は切ないものである。  まして「夫婦」に於いておや である。  私もこの年になれば、何件、いや何十件の別離を見て来たものだろう。  幸いにも我々夫婦は巡り会ってから50数年旅を共にして居る。  誰にでも「寿命」があり、何時どんな具合にそれが訪れるか判らないのだ と言う事は理屈として知っている。  けれど今それを自分で自分に言い聞かせると、私は「駄々っ子」の様に「嫌だ、嫌だ」と叫ぶのである。  何ともだらしないバァさんではあるのだ。 私を「生まれつき体の弱い一人娘」として「可愛がって」と言うより「甘やかして」育ててくれた両親も、母は84歳、父は95歳と気長に生きててくれた。  母が難病で苦しんだ末旅立ち、2年遅れて追う様に父が旅立ち、その時私は思った。  「仕方無い、これからは主人を頼って生きて行こう」とね・・・。  全く自分の足で立ち、自分の才覚で生きて行こうと思えないだらしない人間だなと吾乍ら思う。  けれどそんな私でも二人の娘の母なのである。 娘二人に必要な事となれば、夫に助けを乞うてひたすら力を振りしぼった。        
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