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兎に角猪武者の私は「私の人生は母親になる以外に何もない」と思い込んだからには自分の手に抱いたわが子の幸せしか脳裏になかった。
特に長女が「親不幸をする人生かもしれないが、私は物理をやる」と言って一時は鬱状態に陥った時、全てを投げ打っても末は望みをかなえさせてやりたいと躍起になった。
私の関心はそれのみに打ち込まれた訳ではないと建前は言っていたが、事実夫にも2歳年下の次女にもかなり荒れた生活の思いを味あわせた事だろう。
今の私なら長女の本来持っている力を信じて落ち着いて夫にも次女にも今少し平和な生活をさせられたろうと思う。
娘は親の在り様に不満でも育てられて居る限りは文句を言う権利は無い。
しかし夫はよくあの当時の「妻としての心やり」に欠けた私のごとき女に何も不満を漏らす事なく、むしろ黙って我が家に振りかかった「憂いの時期」の過ぎるのを手助けして待ってくれた。
男には妻子を養う金を稼ぐ仕事に全力を費やしているからには、親としての配慮の他に、妻から与えられる「情緒ある愛情の表現」という物を望む権利がある訳だ。
今思い出しても子供の「一大事」に掛ける私の家庭運営は他の事は誠に「おざなり」そのものだったろう。
お陰様でその長女は無事ある国立大でドクタ-を取得し、広島のある大学で教授職を務め、若者の指導に頑張っている。
そこには「我儘を言わず、家の陰の力に徹し、男性の欲望を抑えて猛烈ママを助けてくれた世にも珍しい「我慢男性」が存在したわけである。
二人そろって90歳になろうとする今は山登りと同じく男女の情緒も望むべくもない。
只毎日共にする食卓の料理が少しでも夫の口に合い、楽しさをかもつ会話をし、そして最後の時はどちらかが「サヨナラ、有難う御座いました」と言ってお別れしたいものと切に願っている私である。
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